TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

御霊代を御炊きあげして報恩録を戴いてきたー私的な記録のために

 私の父は昭和58(1983)年12月15日に亡くなった。誕生日は大正2(1913)年1月11日だから満で70歳だった。私は現在満74歳だから、既に父の年齢を4年も上回った。私の母は明治45年(1912)4月8日に生まれ、平成6年(1994)6月4日に亡くなった。母は82歳まで生きた。私も母の年齢まで生きるのを当面の目標にしている。山田風太郎さん流に言えばあと何回の夕食を食べられるか。そしてあと何冊の本が読めるだろうか。
 さて、今週は念願の気になっていたことを一歩すすめることができた。気になっていたのは「父と母の御位牌をどうすか」ということである。何故か何時からなのか私の生家は神道を祭っていた。仏壇もあったような気がするし神棚もあったような気がする。気がするというのは熱心に勤行をするというのではなくて、盆暮れ正月には神棚も仏壇も拝んでいたような気がする。神仏混合なのだった。父と母が亡くなったときに実家を継いだ兄が、御位牌を、「お前の分も作った」と言って渡してくれた。私は長女と結婚して養子縁組して養父母がいるので実家の御位牌を祭ることは適わない。御位牌を自室の書棚に鎮座させて時折に眺めていた。こ10数年は私も老いてきた。このお位牌をどうしたら良いかが気になっていた。生家は神道といっても丸山教という富士信仰の流れの一つだということは理解していた。この丸山教の本庁が偶然にも川崎市多摩区登戸に所在することは前から知っていた。調べると丸山教本庁のホームページもあり電話連絡も可能とわかった。4月19日(月)の午前中に、意を決して電話で問い合わせた。急転直下、「御位牌は神道では御霊代(みたましろ)というのだ」と知った。この御霊代は御炊き上げして、「報恩録」という冊子に変換してくれるという。「善は急げ」と、昨日の午後に登戸の本庁を訪問した。1時間ほどの丸山教の式による祭祇をおこなって頂き無事に「報恩録」をいただいてきた。
 (更新予定)