TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「三四郎」(夏目漱石)を読みながら本郷へ行くにつけて思うこと

 明日は今月3回目の本郷通いだ。4月25日から、新型コロナウイルス感染拡大に伴う3回目の緊急事態宣言下に首都圏はある。気持ちとしては少し躊躇するが致し方ない。先日、4月22日に受けた胆膵EUS検査の結果を聞きに行く。
 さて、先週から夏目漱石の「三四郎」を読んでいる。今回は、池澤夏樹編集の日本文学全集の一冊に収載のものを読んでいる。書棚に新潮文庫三四郎」があったので、以前、読んだことがあったのかもしれない。しかし、粗筋を覚ええていない。件の日本文学全集には、「たけくらべ」(樋口一葉)と「青年」(森鴎外)が一冊に収められている。この三作品が明治文学の代表という括りのようだ。「三四郎」は途中までしか読んでいないが、全集を明日には一旦、稲城図書館に返却しなければならない。そこで、とちゅうだが、池澤さんによる巻末の「解説」を先に読んでみた。

<明治期の文学をこの三人に代表させる。
 まず明治という時代の枠を確認しておこう。
 戦後が昭和二十年(1945年)八月に始まったように、明治は明治元年(1868年)の九月から始まった。どちら場合もその前とはちがう、性格のはっきりした時代になった。一世一元でずっと元号が変わらなかったこともあっていかにも一つの「時代」という感が強い。明治二年二版籍奉還、四年に廃藩置県、二十二年に大日本帝国憲法発布、その翌年が第一回帝国会議、二十七年に日清戦争、三十七年日露戦争、四十三ん年代逆事件、そして四十五年で明治は終わる。>

 池澤さんの冒頭の記述を引用した。明治の出発と節目節目の事件を押さえると時代の推移がよくわかる。森鴎外森林太郎)は、文久二年(1862年)に津和野に生まれた。津和野といえば、日本における脳外科医の祖、中田瑞穂さんも津和野生まれだったと思う。夏目漱石夏目金之助)は、鴎外の五年後の慶応三年(1867年)、維新の前年(王政復古の年)に、牛込で生まれた。今の新宿区の牛込の夏目坂近辺である。樋口一葉(樋口奈津)は、漱石の五年後の明治五年(1872年)に、やはり東京で生まれている。
 明治を代表する三人の作家の代表作は相次いで発表された。
 『たけくらべ』 1895年(明治28年
 『三四郎』 1908年(明治41年
 『青年』 1910年(明治43年
 三人の作家の中で、一番遅く生まれた、樋口一葉は、『たけくらべ』が「文芸倶楽部」に一括掲載されたのは明治二八年(1896年)4月で、その七か月後には24歳で亡くなっている。「大つごもり」から「わかれ道」までの文学史上に残る優れた小説に費やされた時間は一年と二カ月に過ぎなかったんだという。

 とまれ、明日は本郷に行く。代表される明治の文学の三作品の舞台が、本郷を中心にして上野、根津、浅草あたりに連なっているのが興味深い。「三四郎」を読んだら、鴎外の「青年」にとりかかることにしよう。