今週は、コラムで俳人・歌人の堀田季何さんが、「うたをよむ 俳人ですか歌人ですか」というエッセイを書いている。
近年、俳句と短歌の両方を専門的に創作する作家が増えてきたんだそうだ。堀田さんは、両ほうを作っていて、「どちらが本気なのですか、あちらの人になったのですね、などといまだに言われるのだという。
「俳句を含む多様な詩型で書かれる高橋陸郎氏から、両方やっていいんだよ、というお言葉をいただいて安堵した記憶がある。」と、堀田さんが書いていた。素人の私は、俳句は「575」で、それに「77」という下の句を足せば、「57577」で短歌になるのではと単純に思っていた。ところが、俳句と短歌は随分と違うものらしい。俳句には原則として、「季語」が必要だくらいは知っている。
「いわゆる両刀遣いには、古くは(江戸時代の)松永貞徳がいるし、両詩型の革新を行った正岡子規、句集と歌集の両方が優れていた寺山修司や塚本邦雄などもいる。」
こういうことなんだ。俳句も短歌も奥深いんだと改めて知った。
さて、今日の歌壇に移ろう。
<何という一生(ひとよ)であるか抱かれてミャンマーの兵に打たれし幼(をさな)(前橋市 荻原葉月)>⇒馬場あきこ子選: ミャンマーは、『ビルマの竪琴』のあのビルマのことだ。ミャンマーの軍事クーデター以降の混乱は悲惨な状況だ。誰しもがひとごと思えず胸を痛めている。前橋の荻原さんは歌壇常連の投稿者だ。世界を詠んだ社会詠の典型だろう。
<自らの巨大さを耐え貨物船七日目ににしてやっと離礁す東京都 十亀弘史)>⇒佐佐木幸綱選: 十亀さんは半年ほど前まで獄中歌人だった。いまは何をなさっているのだろう。社会詠短歌が巧みな方だ。
<セリ、ナズナ、ノビル、モチグサ、フキノトウ、土手で摘めてた春が懐かし(福島市 安斎真貴子)>
<風が吹く雨降る 太陽照らしてる 誰も未だに住めない町に(南相馬市 佐藤隆貴)⇒ 高野公彦選: 作者の安斎さんが福島のひとと知って、歌の意味が一入た。汚染され野草が食べられなくなってしまった。佐藤さんの歌も、南相馬の放射能汚染のことを言っている。
<相馬市のすべての道を知り尽くす介護タクシー花の道行く(相馬市 根岸浩一)>
<間違いなく愛しているけれど腹も立つ戸は開けっぱなし記念日は忘れる(酒田市 富田光子)>⇒ 永田和宏選: 東日本大震災や原発事故の被災地からの投稿が多い気がする。歌によって生きる力を得ているのかもしれない。富田さんも面白い歌を詠んだ。「愛しているけれど」なんて敢えていうところが何ともけな気だ。
以上は、各選者の歌から私の気に入った歌を選んだ。
<コーヒーは苦手な私ブラックで飲む友達が女優に見える(富山市 松田わこ)⇒ 馬場あき子、高野公彦共選。松田わこさんは、松田梨子さんの妹さんだろう。全く歌詠みが身についているんだな。
<さあちゃん「せな」じゃなく「おにいちゃん」ってよんでよねぼくはきょうから「さあや」ってよぶよ(蒲郡市 みやしたせな)>⇒馬場あき子、佐佐木幸綱共選。作者のせな君は小学生かな。こういう歌は大人には詠めないんだな。
以上より、十亀さんの歌を「私の秀歌に」しよう。十亀さんは、いまも短歌をさせに生きているのだろうか?
「自らの巨大さを耐え貨物船七日目ににしてやっと離礁す(東京都 十亀弘史)」