TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(45) 日沼頼夫さんと『新ウイルス物語―日本人の起源を探る』 ~1986年1月25日

(45)日沼頼夫さんと『新ウイルス物語―日本人の起源を探る』~1986年1月25日 

 『新ウイルス物語―日本人の起源を探る』(中公新書)を再読した。昭和61(1986)年1月25日に発行された本だ。1986年というと35年前のことである。医学・科学の進展は目覚ましい。科学書であれば、35年前の知見は古くなって読むに堪えないか、改定によってup-dateされるのが普通であろう。件の本を読み通してみたら面白い。胸が躍るような知的な興奮を与えてくれた。
■古くて新しい「新ウイルス物語」
 成人T細胞白血病(ATL: Adult T-Cell Leukemia )の原因ウイルス(いまではHTLV-1とよばれる)を、1981年代の初めに日沼頼夫さんのグループが発見した。もう少し日沼さんが長生きしたらノーベル賞を受賞したかもしれない程の業績だ。
 『新ウイルス物語』は、ATLを発見した日沼頼夫さんが著した啓蒙書である。「幻のウイルス・ATLウイルスの出現」、「ATLウイルスのあらまし」、「癌ウイルスの世界」、「ATLウイルス・キャリアの日本列島分布図」、「ヒトとサルのATLウイルス・キャリアの分布」が書かれ、最後の章で、「ウイルスから日本人の起源を探る」とまとめられている。古くとも新しい「新ウイルス物語」である。臆面もなく長い引用をしたい。
ATLウイルスと日本人の起源■
 
「まず、仮説を提供しておきたい。日本列島の北海道・本州・四国・九州および沖縄に広く分布するATLウイルス・キャリアの先祖は、日本の先住民であろう。これが古モンゴロイドであり、ウルム氷河期に中央アジアから東進して東北アジアにいたり、その一部は日本列島にいたった。これが日本人の先住民であり、この人たちはATLウイルスを保有していた。
 弥生時代、或いは縄文時代の末期に新たにモンゴロイドが大陸から直接に、或いは朝鮮半島を経て北九州に上陸し、山陽道を経て大和(近畿地方)にいたった。この人たちは、ATLを保有していない。そして稲と鉄という当時のハイテクノロジーを持ってきた。彼らは大和に王朝を立てて北へ進んだ。それは東北にもいたる。南へ進んだ。それは九州にいたった。北の北海道、南の沖縄へも大和の人々が移動してきたのは16世紀以降である。
 この間に、この渡来者であった大和人は先住民と混血をしながら、その勢力を拡大していった。現在のATLウイルス・キャリアのコロニー(集落)の人々との混血が比較的少なかったものであろう。
 北海道および東北地方の僻地、辺境にコロニー状に散在するキャリアの集団には、古モンゴロイドたる先住民の血が濃く伝わっているであろう。これは南でも同様である。九州と沖縄にはキャリアのコロニーが多数残っている。特に沖縄の人々は、殆ど濃くこの先住民の血を残している。したがって、北海道・東北の先住民も九州・沖縄の先住民もATLウイルス・キャリアであるから、これらは同じ民族(先住民)であったにちがいない。
 この仮説を支持する一つの重要なデータが提出された。アイヌの人々のATLウイルス抗体陽性率が非常に高いことがわかったのである。1966~70年に人類遺伝学の研究のために採血された約四〇〇人のアイヌの人々の血清が、東大人類学教室に凍結保存されていた。この血清がテストされた。このテストでは、対照として北海道のアイヌ以外の日本人(これをここでは和人とよぶ)の二群をおいた。アイヌはATLウイルス抗体陽性率が大変高かった。その陽性率は琉球人をもしのぐ。もちろん、和人とは雲泥の差を示した。このデータは、ATLウイルス・キャリアは日本人の先住民という仮説を支持する。・・・・・このウイルス・キャリアからみて、アイヌは日本人の先住民そのものであろう。これからみても、一部の人々の提唱していたアイヌコーカソイド混血説はとれない。このアイヌ先住民説、アイヌと沖縄人(琉球人)との同一説は、これだけにとどまらず、一部九州および本州、特に東北地方の人々との共通祖先説に発展して良いと考える。」
 「第7章 ウイルスから日本人の起源を探る」から、長い引用をした。この引用部分を読んだだけで、日本人の起源が、ATLウイルス・キャリア分布から、アイヌ先住民、琉球人に遡れるというのがうかがわれる。
 芦原 伸著『ラスト・カムイ』で提起されていた、縄文人が日本人の起源という仮説に触発されて、ATLと日沼さんの件の本を読み返したのは正鵠を射ていた。ATLウイルス・キャリアらかみてもアイヌ人および沖縄の先住民が日本人の祖先の縄文人であるのは明らかなようだ。
 日沼頼夫さんが書いた別の啓蒙書『ウイルスと人類』を、箱根・仙石原の宿で読んでいる。本書は日沼さんの講演録やいろいろな雑誌に寄稿した論文あるいはエッセイを一冊にまとめたもので、平成14(2002)年8月に世に出ている。
■『ウイルスと人類』の出版■
●2002年8月:

 日沼さんは1988年に京大を定年退官して、その直後から「塩野義医科学研究所」の所長を8年ほど務めている。したがって、この本は晩年の「私のウイルス研究物語」である。「あとがき」がとても印象的なので引用したい。
 
「大ざっぱに言って、大学で約四十年、その後の企業で約十年の殆ど半世紀にわたって、ウイルスとその感染症の研究を続けてきた。学生の教育という義務もあったが、自覚としては自らの本流は研究であった。医学の中の一つの領域「ウイルス学」で自分の科学を創造してきたと思う。ウイルスの研究がおもしろくて、それにのめりこんできた人生であった、とも言える。」
 上の文章を読むと、日沼さんはなんと幸せな人生を送ったものと推察される。「自分の科学を創造してきたと思う」と言えるなんてなんて素晴らしい。日沼さんは、件のあとがきでこうも書いている。
 
「大学にいる間は教科書を書かない、また翻訳書は出さない、という二つのタブーらしきものを自らに課した。何故こんな妙なことをしたか。それには理由があった。研究を仕事としはじめた初期に約一年近く、「教科書」書きと翻訳の仕事の経験をした。これをやることは学問領域の知識を広げたりまとめたりするために大いに役立った。しかし、同時に遂行中の自分の研究は必然的にそがれることをはっきりと知ったのである。」
 
日沼さんが携わった「教科書」も「翻訳書」も、3年位年長の石田名香雄さん(当時、東北大助教授)との共著であるのが面白い。若い日沼さんは一目おき敬愛する石田先輩の奨めを断れなかったのだろう。
 
『新ウイルス物語―日本人の起源を探る』は、1986年の発行だ。1988年の定年退官2年前である。これは日沼さんの本流の研究の軌跡であるから、日沼さんは一般向けの啓蒙書を例外的に執筆したのだろう。
『ウイルスと人類』―日沼さんの「私のウイルス物語」である
 『ウイルスと人類』に収められた日沼さんの論文、エッセイは、1990年~2000年までの足掛け11年間に雑誌に寄稿したものや、学会、研究会での講演をまとめたものである。注目したのは「序にかえて」である。これは「第23回日本医学会総会特別講演要旨(1991年)」となっている。京都で開催された第23回医学会総会は、私にとっても忘れられない取材経験がある。その折には、3泊4日にわたり京都国際会議場に取材で日参した。この「序」のなかで日沼さんは、ATLとエイズという二つのレトロウイルスが明るみになった軌跡を描いている。
 日沼さんの本のことを書いていたら、興味深い本の広告を見つけた。『京大おどろきのウイルス学講義』というPHP新書の一冊である。著者は宮沢孝幸という比較的若いウイルス学者だ。「ウイルスとは何か?」を理解するために必読とのことだ。探して読んでみたい。「次に」備えるべきウイルスは?哺乳類の進化を生んだ一億年前のウイルスとは?というようなことが書いてあるらしい。また京大か。分子生物学福岡伸一さんも京大だし、利根川さんも、本庶さんも、東北大出身の日沼さんも最後は京大だ。京都はウイルス学に関しても面白い人材を輩出してきたようだ。
 日沼さんは,2015年2月4日に、肝細胞癌のために京都市内の病院で亡くなった。享年90歳である。肝細胞癌ということは、日沼さんは肝炎ウイルスを持っていたのであろうか。ともあれ、90歳という年齢は長寿の範疇にはいる。日沼さんの講演を何回も拝聴して記事にしたことはある。しかし、面と向かってお話したことはないが、1990年代中頃に、エイズウイルスの発見の優先権をめぐる米国NIHのギャロとフランスのパスツール研究所モンタニエとの争いに決着がついたときに、塩野義医科学研究所に電話で取材をした。「エイズウイルス発見の光と影」のテーマで、医学界新聞に寄稿して欲しいと臆面もなく執筆依を頼した。その時に日沼さんが、「そのテーマなら、愛知県がんセンターの小野克彦君がよい」と紹介してくれた件は別稿でも触れた。
 日沼さんがATLの原因ウイルス(ATLV)を発見した1981年頃から、医学界新聞記者として、私はその一端を研究会や癌学会等々で取材してきた。1983年に、日沼頼夫さんと同じく京大ウイルス研究所の畑中正一教授との対談収録に参加したことがある。テーマは、「癌・ウイルス・遺伝」であった。その時から38年が経過した現在、ATLはその治療も含めて解決したかというと、そうではないらしい。ATLウイルス・ワクチン研究は進んでいるが、最終段階ではないようだ。新型コロナウイルスワクチンのスピード完成を思うと「何故か」と思う。
 今回は、『新ウイルス物語―日本人の起源を探る』を再読して、遅ればせながら私の「医人」たちの肖像に、日沼頼夫さんをとり上げた。
(2021.5.17)
(私の「医人」たちの肖像―45日沼頼夫さんと『新ウイルス物語―日本人の起源を探る』~1986年1月25日)