TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『科学者たちの自由な楽園ー栄光の理化学研究所』(宮田親平著)を読んでいる

宮田さんのこの本は力作である。後書きの日付は1983年5月で、発行は7月15日となっている。私の本は1984年1月30日第4刷となっている。半年で、4刷になっっているので良く読まれたのだろう。文藝春秋社から出ている。発行者が、最近亡くなった歴史家でもある半藤一利さんである。半藤さんが当時,文藝春秋社の社長であったのだろう。

 この本は、いかにして理化学研究所が生まれたか、初期の初期から書き起こしている。そして、若くして三代目の所長となった大河内正敏を軸として話は展開する。これから、ところどころ引用しながら読み進めていきたい。

1 ロンドンの邂逅
 「夏目漱石がロンドン遊学時代、神経症に悩まされたことはよく知られている。」
 これが本書の書き出しである。ロンドンで誰と誰が邂逅するのだろうか?
 ロンドンで、漱石は池田菊苗という、やはり漱石と同じく文部省留学生の化学者とロンドンで会う。明治34年5月、池田がドイツから漱石のいるロンドンにやってきた。池田の下宿捜しを漱石が手伝い、二人は親しく交流する。
 「池田との邂逅の喜びは、漱石が人淋しかったからだけではない。池田の人物に傾倒したからである。」と、宮田さんが書いている。
 この時、池田はドイツのライプチヒのウイルヘルム・オストワルド教授のもとでの約一年半の研鑽のあと、王立研究所に少時滞在するためにロンドンにきた。池田はこの時、36歳だった。池田菊苗はグルタミン酸ナトリウム(味の素かな)にうま味があることを発見したひとだ。後に帝国大学の教授となった。
 ロンドンでの池田と漱石の邂逅が後の作家漱石と科学者池田菊苗のその後の成長と活躍が育まれていくのである。

(続く)