あたり前だけど、村上春樹は自分の文体を持った作家である。村上春樹の文章を読んでいると何故か心地よい気分になる。まるで自分がその文章を書いているような気がする。村上春樹は悔しいけど驚くほどのシティー・ボ⁻-イである。写真でみると顔はどちらかというとイケメンというのではない。平凡のようにみえるが忘れられない。早稲田を出てから会社員にはならないで、高円寺あたりで喫茶店を経営して、コーヒーを入れてパスタを茹でたりしていたのではないか。女性の扱いがとても卒ないような気がする。たとえば、立松和平とかとも違うんだろう。
『一人称単数』には、短篇小説が八篇から一冊ができている。最初の「石のまくらに」という短篇が面白い。
<ここで語ろうとしているのは、一人の女性のことだ。とはいえ、彼女についての知識を、僕はまったくと言っていいくらい持ち合わせていない。・・・・」という冒頭の文章から始まる。
主人公の僕の関係した不思議な女性のはなしである。バイト先で知り合った、一人の女性が僕のアパートに泊まっていく。その女性は短歌を書く人だった。
<石のまくら/に耳をあてて/聞こえるは/
流される血の/音のなさ、なさ>
一夜を共にしたあと、女性は歌集をおくるかからと言って消えた。それきり、僕は彼女と会っていない。
しばらくして、彼女から42首の短歌を収めた手作りの歌集が送られてきた。自家製の限定版28だった。タイトルは、「石のまくらに」で作者は「ちほ」と書いてあった。
僕はその後も、彼女の送ってくれた歌集を取り出して読み継いで年月を繋いできた。
<やまかぜに/首刎ねられて/ことばなく
あじさいの根もとに/六月の水>
彼女の書いた短歌は、どれもこれも死ぬことを想定しているものだ。
<あれから長い歳月が過ぎ去ってしまった。ずいぶん不思議なことだが、(あるいはさして不思議なことではないかもしれないけれど)、瞬くまに人は老いてしまう。僕らの身体は後戻りすることなく刻一刻、滅びへと向かっていく。・・・・>
この短篇は不思議な小品である。村上春樹さんは、自分でも短歌をつくるひとなのだろうか。この作品で紹介してある、作品には「ちほ」の短歌が十数首も載っている。
二つ目の作品「クリーム」は、こういう冒頭から始まる。
<十八歳のときのに経験した奇妙な出来事について、ぼくはある年下の友人に語っている。・・・>
このお話は、僕が18歳の浪人生の時代に、高校生の時に一緒にピアノを習っていたことのある女の子から、発表会の招待をうけたのだが、それが騙しだったというお話だ。
三つめは、「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」というタイトルだ。村上春樹はたぶんジャズ喫茶をやっていたのではないか。ジャズに造詣が深いのだ。そして、シティー・ボーイなのだ。誰と結婚したのだろう。子どもはいないようだ。どれもそうなのだが、村上春樹の小説は、人間のどうしようもないような孤独感が底流に流れていると感ずる。