TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

蛙の子は蛙か―淋しい幻想!

 蛙の子は蛙か?医師のこどもに医師がとても多いように思う。かのヒポクラテスが医師の義務としてこどもを医師にせよと言い残したとか聞く。医師の親の姿をみて育ち医師を志すのかもしれない。医師になるには医学部に入らねばならない。その準備には経済的な裏付けが必要なので収入が安定していると思われる医師は子供の教育にお金をかけられるというのが、医師の子どに医師を志す人が多い理由かもしれない。実際、国公立はともかく私立の医科大学に入るには相当の経済的な余裕がないと無理であろう。
 私は偶然ではあるが、医学系出版社で口を糊してきた。医学系出版社の社員にはとくに女性は医師の娘が多かった。偏差値の高い大学出身で見た目も麗しい女性が多かった。半面わがままな女性が多かったように思う。男性でも医師の子弟が多かった。某役員の母親は医師であったというし、上司だったMMさんは父親と弟が医師であった。MMさんは両家の息子というか実に安定感のある両家のお坊ちゃん然としていた。友人のSAの父親も医師であった。彼も現役で一度医学部を受験したらしい(信州大学とか)。一年浪人して私と同じ北海道大学文学部に入ってきて、偶然に友人となった。その従妹のYTが私の妻となった。妻の父親のTTも医師を志して旧制新潟高校の理科乙類に入学したが、結核を患い医師を断念して農学部に学び、植物病理学を専攻して植物の医師となっていた。植物病理学は地味な学問で収入は良くないので妻は狭い都営住宅で育っていた。父親が地味ではあるが顕微鏡を眺めて植物(西瓜、米、等々)の病気の分類についての論文を執筆している姿を生き甲斐とプライドにして育ってきたらしい。そこへきてなんの因果か私が半ば強引な手段で妻になってもらったので、今になって不本意な結婚であったと嘆いている。覆水盆に返らずである。「どん百姓が・・」と信頼していた件の友人が、いまから50余年まえに、私のことをそう言っていたと最近聞いた。「その通りなので返す言葉がない。」父はたしかに「どん百姓」であった。旧姓の高等小学校卒なので学歴は乏しかった。しかし、教養と生活の知恵は持っていたように思う。太平洋戦争に従軍したので何でもできた。兵隊での生活は、いまの自衛隊員と同じで人間力を高めたのかもしれない。
 父は淋しいひとであったと思う。もしかしたら、戦争でひとを殺してきたことが自らが幸せに生きることを許さなかったのかもしれない。その息子の私も淋しい人であると感ずる。寂しさは伝わる。