TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『飆風』(ひょうふう)という本を借りてきて読んで、思うこと

 『飆風』という本が城図書館の返却棚にあるのが目に着いた。借りてきたのはいいが、『飆風』の「飆」の字が読めない。「飆」は、「ひょう」と読むのであり、意味は「つむじかせ」ということらしい。車谷さんは教養があるのである。車谷さんの本は、どれもこれも、ドロドロしていて読んでいて辛くなるような本ばかりである。でも、車谷さんの本は好きで結構読んでいる。車谷さんは、たしか昭和20年くらいの生まれなので、私よりも2歳くらいの年長である。49歳くらいで、詩人の高橋順子さんと結婚されたことは知っていた。結婚して、千代田線の千駄木あたりの、古い一軒家を借りて住んでいたことも知っていた。

 『飆風』は、ほとんどが車谷さんの自伝と言うか、結婚したころの貧乏暮らしの頃の話が書いてある。50歳くらいで、まだ直木賞もとっていない頃である。平成7年に、車谷さんの『漂流物』(文學界2月号)が、その年の上半期の芥川賞の候補になったんだという。結果として落選した頃のことが書いてあった。二回目の候補で、一回目も0.5票の差で落選していたらしい。この時に入選したのが、保坂和志の『この人の域(いき)』(新潮三月号)だったんだという。車谷さんは、こんなふうに書いている。
 「果たしてその後、文藝春秋の人から電話が掛かって来て、落選を告げられた。糞ッつ、と思うた。入選したのは、保坂和志の毒にも薬にもならない平穏な日常を書いた「この人の域(いき)」という作品だった。
 この後、車谷さんは、保坂和志さんを妬んで、恨んでいるのである。おれはこれで、作家の業というしかないようだ。こういうことがあって、何年かの後に、車谷さんは、『赤目四十八瀧心中未遂』で、直木賞をとったのだった。この本は、私も読んだ。これが、直木賞作品だろうかと不思議に思った記憶がある。直木賞といえば、少しは楽しいストーリーの読み物と言う気がするだあ、車谷さんの本はおドロドロしいいのである。また借りて読んでみたい。
 車谷さんは、2年くらい前に、正月に餅をのどに詰まらせたかで、嚥下障害で亡くなってしまった。そういえば、私は東大出身の高橋順子さんの詩も読んだことがない。