『医・人・時―私の医人たちの肖像』という本を書いている。いや未だ本ではないのだが、回想録をかいている。だいぶまとまってきた。その第9回目で、精神医学の秋元波留夫さんのことを書いていて、1981年に京都で開かれた「国際てんかん会議」で秋元さんの開会講演「てんかんー東と西」に言及した。それに絡めて、ロシアの作家ドストエフスキーがてんかん持ちだったことを書いた。そういえばずいぶん昔に、ガストーという仏のてんかん学者が、ドストエフスキーは側頭葉てんかんだったと書いていた小論を見つけて読んだ記憶があった。そのことをインターネットで調べていたら、標題の中村さんの本『永遠のドストエフスキー 病いという才能』の存在を知った。早速に稲城図書館に予約して借りてきた。この本は2004年6月にでている。2000年の頃は中村さんはニコライの本を翻訳したりしていたので、ドストエフスキーについては久し振りな本であるようだ。「あとがき」を読むとその通りであった。まだ読み始めたばかりなのだが、「病という才能」という副題に惹かれた。こちらの方が面白いような気がする。読み始めてみると、中村さんのドストエフスキーは面白いというか、身につまされるというか、自分に引き付けて人間を考えるような気がする。この本はいろいろな媒体に書いてきたものをまとめたものだった。
第一章 心の病いを尊重する作家は、新曜社の『「甘え」で文学を解く』に載った「ドストエフスキーにおける依存の心理についての覚え書き」が初出らしい。
冒頭に土居健康夫さんの言葉を引用している。
「医者が病気というときは、論ずべき価値のある対象である、ということにはなりせん。つまり病気というのは、決して貶める言葉ではないのです。・・・」という言葉に中村さんは引き付けられた書いている。そして、こう書いている。
<医者ではないがドストエフスキーも、おそらく土井先生の考え共感しただろう。かれにとって病気はまさしくわが重大事であり、「考える価値がある」ことだった。>
なるほど、ドストエフスキーはてんかん持ちで病と言う才能をもっていたのだ。
この本については、読みながら感想をかいていきたい。中村さんのドストエフスキーを読みながら、亀谷郁夫さんのドストエフスキーの捉え方について考えた。そこで、亀山さんがまた新しい本を出したので記録しておく。『ドストエフスキーとの旅―遍歴する魂の記録』(岩波現代文庫)自伝的エッセーであるのだという。亀山さんは、中村さんとは全く切り込み方が違うタイプなんだと思う。これも読んでみたい。
(更新予定)
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