TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『今日すべきことを精一杯!ー日野原重明 105歳の医師の原点』(ポプラ選書)を借りてきた

 『今日すべきことを精一杯!ー日野原重明 105歳の医師の原点』(ポプラ選書)は、2017年3月8日に出ている。日野原さんは、2017年7月17日に、105歳で亡くなった。まさに、亡くなる4カ月前に出版された。この本に書いてあることは、断片的に何処かで読んだことがあった。それもそのはず、自伝的なことを書いているので、くり返し講演などでも話されておえい、また他の本にも書かれている。かつ、この本は、婦人画報社より、1990年に『生と死に希望と支えを 全人的医療五十年に想う』というタイトルで刊行されたものをもとに改稿したものだという。

 第一章「最期の一瞬」を幸せに生きるために、という章で、日野原さんは、ご自分の父親のことを随分細かく書かれている。「大きな夢をもつ父の背中を見て」の項目で、父親を敬愛していることを書いている。日野原さんのお父さんの日野原善輔さんは神父さんであった。14歳で洗礼を受けてクリスチャンになり、自ら望んでアメリカ留学までしている。「父は非常に明るい行動的な人間でした」と書いている。

 「親ガチャ」という言葉がはやっているのだと最近知った。「ガチャ」というコインで玩具を買える自動販売機がある。200円を入れて、ガチャとねじると、丸いケースに入った玩具がでてくる。何がでてくるかは分からない。それと同じで、子どもは親を選べないので、「親ガチャ」というんだという。環境の悪い、貧しい家庭に生まれてしまう不幸をこの言葉で揶揄しているのだ。嫌な言葉であるが、現実だろう。私は、貧しい家に生まれたことを、不幸だとも思わないが、確かに幼い日の遊びや学びにおいて経験不足は痛感する。
 さて、日野原さんは、貧しい神父の家に生まれたとは言うが、精神的には恵まれた家庭にうまれたといえるだろう。 今日の感想はここまで。

 第2章 あらゆる体験を通して人間は発達成長します、となっている。この章では、38歳という比較的に遅い留学体験のことが書いてある。
 <1年間のアメリカ留学の終わり近くに、私はミネソタ州ロチェスター市のメイヨークリニックを訪問しました。そのメイヨークリニックで、私は終戦直後にアメリカの文献で知った「心身医学」に出会ったのです。サイコソマティック・メディシンを私たちは最初、精神身体医学と訳しました。> 
 この時、たまたまメイヨークリニックで結核を研究していた、池見酉次郎さんも一緒に、「心身医学のカンファレンス」に参加したのだという。その契機に、池見さんは心身医学の虜になってしまい、そちらの研究に転向してしまったんだという。面白い。

 第3章 いつも自分の歳と勝負しているような気持ちで、にはこう言うことが書いてある。この章では、日野原さんご自身も、すこずつ老いてきたことを率直に書いている。「老いを自己観察して、作戦を」という見出しがある。日野原さんは、毎日、忙しく働いてきたので、おそらくスポーツなんかはやっていない。足腰を維持するために、階段を二段抜かしで上り、あまり座ることは無くて絶えず身体を動かしてきたようだ。それと、朝はコーヒーと、紅茶、昼もビスケット2枚とミルクくらい。いつも腹五分目くらいでおられた。これが健康の源だったようだ。

第4章 人間は死ぬ生きものであるという宿命をもっている、の章はこうだ。
 <人間は死ぬ生きものであるという宿命をもち、死はやむを得ないことです。ところが多くの人間は、平素は死というものに気づきません。しかし、山を一つ越える向こうには死の海があるのです。>
 人間だけでなく、生きとし生けるもの、動物も植物も有限に生きているのである。そんなことは、あたらい前なんだがふだんは気がついていない。このしょうで、日野原さんは、「メメント・モリ」、死を思え、そして死の教育のこと、ホスピスのことも言っている。別途、私が読んでいる樋野興夫さんの「がん哲学外来」に通じることを言っている。人の命は、有限なるがゆえに、「今日できることを精一杯!」となるのであろう。


 この本は、1990年に『生と死に希望と支えを 全人的医療五十年に想う』という本を元にs手、前文、2章、3章、6章を割愛して、一部の内容を改稿して出来た新本だという。「新書版へのあとがき」を、2017年春に日野原さんが書いている。亡くなる6ヵ月前のことだ。