札幌医大の学長だった和田武雄さんのことを書いた時に、哲学者の森 有正さんとの交流のことを知った。森 有正さんのことも、実は私はリルケの『フィレンツェ』の翻訳者としか知らなかったのだ。
こんなおり、中村さんの『永遠のドストエフスキー―病いという才能』を読んでいたら、森 有正さんのことが書いてあった。興味を惹かれた。どうも、森 有正さんという哲学者は、エキセントリックな「空想虚言者」であったらしいという説が書いてある。中村さんがこう書いている。
<もう二十年もむかし私は、「哲学者」森 有正の『バビロンの流れのほとりにて』の
主人公「わたし」は「空想的虚言者」のステパン・トロフィーもヴィッチを連想させると書いて、ある人から抗議を受けたのだが、(中村健之介『ドストエフスキーのおもしろさ』参照)、その連想はいまも断ち切ることはできない。『バビロンの流れのほとりにて』には、森 有正の自分ではどうにもならない「空想虚言癖」が明白である。かれは自分の性質にひそかに苦しむことはなかったのだろうか。・・・・>
これは、どういうことなのだろうか。「病という才能」の意味で、森 有正をとりあげているのだあろうか?
ともあれ、『バビロンの流れのほとりにて』と、中村さんの『ドストエフスキーのおもしろさ』をこんどは借りて読んでみたい。