TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『家族仕舞い』(桜木紫乃)と『永遠のドストエフスキー―病という才能』(、こ中村健之介)を箱で読んだ

「LGPTQ」のことが真正面にとり上げられたのはここ3~4年くらいのことだろう。日本で、最初にLGPTに対して精神医学の立場から対応したのが埼玉医大の精神医学教授の山内俊雄先生だ。心の性と身体の性を同一にするために外科的手術での対応も行われた。一方、先天的に子宮のないロキスター症候群に対して子宮移植が実施されている。人間の性ってなんなのだろう。普通って何なのだ。
 昨日からの箱根仙石原の旅には上記の2冊の本を携えてきて読み終えた。読み終えたと言っても、『家族仕舞い』のほうはチョット退屈なので、読み飛ばしたりもした。「家族じまい」という本は、ひとが生まれて成長して、セックスをして子どもを得て家族を作り、やがて老いて認知症になったりして、死んでいく様が描かれている。第一章~第五章までのタイトルは、いずれも登場人物の女性の名前(親とその娘か)である。いずれの話もどこにでもあっても不思議でない庶民生活の話で、男と女の物語である。「第二章 陽紅」の話はチョット変な作りに思える。だが、ありえる話かもしれない。人間ておかしくて哀しい。
 併行して『永遠のドストエフスキー―病という才能』も読み終えた。「病という才能」というタイトルが特異だ。ドストエフスキーは、側頭葉てんかんのみでなく統合失調症も持っていたとの分析だ。ドストエフスキーの二度目の結婚は、48歳くらいの時に速記の仕事頼んでいた22歳の小娘のアンナだった。若い女性のアンナは聡明な女性であったことがわかる。てんかん持ちで統合失調症で妄想持ちの男の妻となった。ドストエフスキーは書くことによって精神の平衡を辛うじて保って生きた。「第五章 博愛主義者にして反ユダヤ主義者ー社会問題の視覚的解決」の章はもう一度読み返してみたい。ドストエフスキー反ユダヤ主義者だったのだ。

 「まえがき」の冒頭でいきなりこう書いてある。
<ソルボンヌでロシア文学を講じた亡命ロシア人コンスタンチン・モチューリスキーは、『ドストエフスキー・人生と創作活動』(1947年)の冒頭で、「ドストエフスキーの人生と創作活動は切り離せない。ドストエフスキーは、文学の中で生きた。・・・彼は自分のすべての作品のなかで自分という人間の謎を解こうとつとめ、わが身で体験したことだけをかたった」と書いている。>
 実際、そういうことなのだろう。ドストエフスキーを読む際に、余り高尚な読み方ではなく、ありのままに捉えるのがいいのかもしれない。中村さんのこの本は実に斬新である。