TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

大腸内視鏡検査の予約をするために受診する際に村上春樹『蛍・納屋を焼く、その他の短篇』を読んだ

 最後に大腸内視鏡検査をしたのは令和元(2019)年の9月だった。その前年の平成30(2018)年にも大腸内視鏡検査を受けた。その時には、かなり大きなポリープを切除した。初めて、大腸内視鏡検査を受けたのは、2006年で今から17年くらい前になる。最初の時には、検査の折に局部麻酔しか使わなかったので、テレビモニターで自分の大腸の内壁を見た。綺麗な赤い色だっと思う。その時も、ポリープを切除した。午後16時くらいに検査を施行して、1時間くらい休んでから、東急田園都市線あざみ野駅前の蕎麦屋で饂飩を食べて、1時間をかけて文京区本郷の勤務先に出勤した。日中の勤務は休んだが、たしか19時からの、当時の職責の一つであった、定例の「役員会」に出席したのだった。私は末端の平取締役に就任したばかりだったので、大事な大腸検査だからと言って、欠席しても何ら問題は無かったろう。それでも、そうするのが嫌で、検査の後会議に出席した。かなり、負担の大きい検査の後だったので、定例の役員会の終了後にチョット身体がふらついた記憶がある。多分、私の57歳の夏だった。

 「蛍」の初出は、雑誌「中央公論」の昭和58年1月号、「納屋を焼く」は、雑誌「新潮」の昭和58年1月号の掲載だ。村上春樹の長い小説は大抵は読んでいる。読み始めると面白くて最後まで読み通す。読み終えても何も残らない。2017年に頃に、雑誌「文芸春秋」に載った、父親とたしか飼い猫か飼い犬を捨てに行く話を軸とした自伝的な小説(単行本にもなった)は面白くというより、荒唐無稽なものではないので感心して読んだ。今回、短篇「蛍」を読んだ。この小説も、村上春樹が早稲田に入学して、江戸川場辺り、椿山荘の近くと思われる「学生寮」に住んでいたころの話だ。こういう初期の小説を読むと、この同時代の作家の生まれ育ちの豊かさに気が付く。それと、同世代の音女の子の扱いが羨ましいくらいに手慣れてていて嫌味がないのに驚く。初期の長編「のるえーの森」もそうなのだが、村上の小説には、心を病んだ女の子が頻繁にでてくる。

 小説「蛍」は、病院で受診の時間を待つ間に読み終えるくらいの短さで、気持ちが静謐になった。恐らくではなくと、きっと私は病院の待合室が好きなのだ。齢七五歳になって、六回目くらいの大腸内視鏡検査を受けるーそれはつまり大腸がんを恐れてだがーのは医療費の無駄ともいえるかもしれない。でも、これまでの私の病歴を考えると、大腸と肝臓の病では死んではいけないように思う。そうでないと、これまで二三年間くらいの私の病院通いが無駄になる。

 帰宅してから、木刀110回の素振りもを今日も実行した。