TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「狐狸庵」「マンボウ」未公開日記を出版

 <「狐狸庵」「マンボウ」未公開日記を出版>という、見出しの記事が朝日新聞(2021年11月29日)に出ていた。興味があったので、古い新聞から概要を紹介しておきたい。
 「狐狸庵」といえば、言わずと知れた遠藤周作さんだ。ペンクラブの会長までやった遠藤さんの小説はたくさん読んできた。「深い河」、「沈黙」、初期の「白い人黄色い人」も読んだ。それよりも好んで読んだのは、遠藤さんの中間小説というか、読み物風の小説だ。「お馬鹿さん」と言う小説は、ドストエフスキーの『白痴』から思いついたのではないかと思った。そこぬけな善人を描こうとしたのだと聞いたこともある。『私が捨てた女』という小説も私にとって忘れられない小説だ。
 <遠藤周作が表紙に「Relexion(2)」と記した大学ノートの中身が、文芸誌「三田文学」秋期号に全文が掲載され。1961~74年の間、断続的に書かれた日記で遺族から遠藤周作文学館(長崎市に寄贈された遺品に含まれていた。> 「三田文学」は、この辺の図書館にないので読めないな。そのうちに本になるかもしれない。

 <膨大な読書量にも驚かされる。とりわけ敬愛するグレアム・グリーンへの記述が目立つ。>
 遠藤さんは、グリーンの『情事の終わり』を四回も読んでいるんだと知った。
 この記事は、野波健祐さんが書いている。

マンボウ」こと北杜夫さんの日記は、この秋に『憂行日記』(新潮社)として出た。北杜夫が18歳~2年半、6冊のノートに付けていたものだという。後に、『どくとるマンボウ青春期』などのエッセーで引用されてきた冒頭の一部を除いて、これまで公開されてこなかったのだという。

<日記は1945年6月9日、その『寒雲』との出会いから始まる。「午前中くだらぬ本を読みて過ごす。親父の歌集を見たきも無し。小歌論(茂吉の著作)を少し読んだが割に面白い。寒雲を得、少しずつ読む積もりだ>

 その後、日記は次第に自作の短歌をが多く記されるようになる。日記の編者の齋藤国夫さんが、「日記が文学修行になっていた」と指摘している。・・・・(奥野優平さんの記事より)

 ⇒「狐狸庵」こと遠藤周作さんと「マンボウ」こと北 杜夫さんは、同世代の作家で友人だった。二人の著作を読んできたので親しみをもっている。長崎の「遠藤周作文学館」を2014年に訪問したことがある。大村にも近い海を見下ろす風光明媚な良い位置にある。一方、北杜夫さんは、あの斎藤茂吉の二男なのだから、親ガチャがあたった部類なんだろう。茂吉の晩年の恋のことには驚かされるばかりだ。茂吉が婿入りした奥さんである斎藤輝子さんは、随分長生きして、茂吉亡き後も南極旅行をしていたのだったろうか。