TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

<孤独・孤立対策へ24時間支援―政府が重点計画>の記事を読んで思ったこと

 「孤独・孤立対策へ24時間支援―政府が重点計画」とう興味深い記事が朝日新聞朝刊(2021年12月29日)に出ていた。この記事を機会に孤独・孤立についえ考えてみたい。
 思えば私は孤独な人で、何時も孤立していた。さびしい男だ。作家の五木寛之さんの『孤独のすすめ』を読んで胸を撫でおろしして生きてきた。 

 つい最近、2021年12月20日に、大学時代の友人の一人のRB君が75歳で亡くなった。これで学生時代の親しい友人は1人もいなくなった。お世話になった、北大露文の恩師のKNさんには、3~4年くらい前にお手紙を書いたら返事を貰えなかった。もしかしたら、KN先生は老いてしまったのかもし知れない。勤務時代の上司で友人でもあるEOさんは、2年前に亡くなった。合気道の仲間のS君はもう20年くらい前に、54歳くらいで亡くなった。北大空手部でお世話になった、RH君も6年くらい前に亡くなった。小学校・中学校時代の友人のX君は、なんと30年くらい前に45歳で亡くなった。親しい友人は既に次々と亡くなってしまった。何れも、瀬戸内寂聴さんや日野原重明さんのような100歳前後というのではない。人の一生は意外と短いのかもしれない。あと9日で75歳という後期高齢者に私はなる。「孤独・孤立」などと言いながら、齢75歳に達するのである。今から55年前の20歳の新年は、札幌市の下宿の部屋で独り寂しく新年を迎えたのを想いだす。26歳で、今の妻と結婚した。爾来、私は孤立も孤独でもなかった。しかし、今になって、妻に最後通牒を言われている。「あなたのような、吞百姓の息子に騙されて結婚したがために一生をだいなしにした」

 それでも、私の妻は6年前の小脳出血という病から、リハビリテーションのお陰で、お節料理をつくるまでに回復してきた。これを幸せといわず何と言うか。

孤独・孤立対策へ24時間支援―政府が重点計画■
 ひとの孤独・孤立を国の政府が支援してくれるものだろうか。記事から引用する。
<日本政府は、12月28日、孤独・孤立対策推進会を開き「重点計画」を決定した。社会のつながりが希薄化するなかで、孤独や孤立は「誰にでも起こり得る」だとして、予防の観点に立った施策や相談体制支援作りを進める。生活困窮者や子どもの貧困などに取り組むNPOの支援も強化する。>
 上記のような取り組みをするのだという。岸田文雄首相は会議で、「不安を抱える方々に必要な支援を届けられるよう、官民NPOが緊密に連携しながら取り組みを進めていきたい」と述べたんだという。

 この2年間の、新型コロナウリルス蔓延のなかで、社会の仕組みというか、人とひとの関係が劇的に変わった。社会面には、「テレワークの課題は?主要100社の調査」という記事が出ていた。 

 テレワークで助かったのは、能力の高い勤め人と会社経営ではないかと思う。テレワークにより、通勤地獄はなくなったし、会社にとっては無駄な残業代がなくなった。つまり、能力の高い社員は在宅勤務で成果を上げて賃金も高くとれるようになった。能力の低い社員は淘汰されてきたのではないだろうか。かつては、社員同士の親交を深めるために、アフターファイブの飲み会が重視されて、「ノミニュケーション」なる造語もあった。
 <多くの企業が「従業員の負担軽減につながった」とする一方で「コミュニケーションの希薄化」に悩んでいる。オンラインでの対話を進めたり、どこ0で働くかの判断を社員に委ねたり、働き方の模索が続く。>
 テレワークが進行すると、ひととひとの繋がりはさらに希薄になるだろう。

 「天声人語」の冒頭にこう書かれていた。
<孤独は1日15本の喫煙以上に有害で、英国に及ぼす損失は4兆8千億円に達する。多賀幹子さんが近著『孤独は社会問題』で紹介した、かの国の氏s団である。>
 新型コロナウイルス感染拡大のなかで、私たちは新たな孤独を強いられている。「ひとに甘えるとか、迷惑をかけるとか、忖度とか、気配りとか」いう言葉は、社会人としての人間の姿をあらわしいるのだろう。