TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

古い資料(1984年)から―宇都宮病院事件とは何か

 

    古い資料を整理していたら、<資料:宇都宮事件(What does this event mean for us?)>という小冊子が出てきた。この冊子は、昭和59年(1984年)4月~昭和60年(1985年)4月まで、宇都宮病院事件関連の新聞記事をコピーしてまとめたものだ。発行者は、「精神科看護者グループ交流舎」となっている。

   昭和58年(1983年)、看護職員らの暴行により、入院患者2名が死亡した事件である。以下、インターネットのウキペディアの記載から転記しておく。

  「宇都宮病院は、他の精神科病院で対応に苦慮する粗暴な患者を受け入れてきた病院であったが、事件以前から私刑として「看護師に診療を違法に行わせる」「患者の虐待」「作業療法と称して石川文之進院長一族の企業で違法に働かせる」等々の違法行為が行われていた。・・・」

   <1983年4月、食事の内容に不満を漏らした入院患者が看護職員に金属パイプで約20分にわたって乱打され、約四時間後に死亡した。また、同年12月にも、見舞いにきた知人に病院の現状を訴えた別の患者が、職員らにより殴られ翌日に急死した。>

上記は、資料の新聞記事からの引用である。「あとがき」は次のように結ばれている。

「この事件を単なる不祥事として捉えるのではなく、我々の舞台である精神医療の問題として振り替えることを意図してこの資料集を作成した。「宇都宮病院事件」が精神医療の最後の悪しき出来事に終わることを願い、ここに資料「宇都宮病院事件」を発刊する。」

  1984年4月に、宇都宮病院事件が明るみに出た頃に私も興味深く新聞記事を切り抜いた記憶がある。
「医学の名門に深い傷」という大きな見出しの記事が、朝日新聞朝刊(1984年5月26日付)に掲載されている。

   <「精神科医として失格です」――。報徳会宇都宮病院事件で、医学部当局から、「医師としての基本的倫理に欠ける」と「厳重注意」された東大の医師らは、今は反省を口にする。>との記述がある。この事件には、当時、神経系の取材でき知己を得ていた自治医大のMY教授も宇都宮病院に関連して不適切な関係を指摘されていた。

   事件の裁判結果は次のようだ。「刑事訴訟において、暴行を行った看護職員のほか院長も起訴され、宇都宮地方裁判所において全員が懲役8カ月〜4年の実刑判決を受けた。また、民事訴訟では「入院治療の必要がんあいのに監禁された」として元入院患者が院長らを相手取って損害賠償を求め提訴し、請求が認められている。」

   記憶と記録のために古い資料を紹介した。

宇都宮病院事件と日本の精神医療関連年表
1950年  精神衛生法制定
1958年  新国民健康保険法(厚生省医局長通達)
     精神科を一般科より低スタッフ数で運営するという方針
1960年  医療金融公庫法施行
     精神病院に対する低金利長期融資始まる
1961年  宇都宮病院開院(精神科37床、一般科8床、結核12床、合計57床)
     措置入院に対する国庫負担の率の引き上げ(措置入院に対する国庫負担率の

     引き上げ(措置入院強化拡大の基盤成立)
     石川院長が東大精神医学教室(秋元波留夫教授)に通う
1962年  平畑富次郎院長就任
1963年  同病院290床
     厚生省第2回全国精神障害者実態調査
1964年  ライシャワー米国駐日大使死傷事件
     日本精神医学ソーシャルワーク協会設立
1965年  精神衛生法一部改正、国会を通過
     申請、通報、届け出制度の強化、緊急措置
     入院制度の新設等
     全国精神障害者家族連合会結成
1967年  同病院350床
     栃精協幹部同病院の強引な患者呼び込み問題等を県環境衛生部に告発
1968年  同病院507床 
     WHOの派遣医DHクラーク「日本にける地域精神医療レポート」
     報告書は日本の精神病院の実情を批判している
1969年  日本精神神経学会は精神医学医局講座制の告発に揺れる
     全国各地で精神病院不祥事件多発
     ルポ「精神病棟」連載(大熊一夫さん)
     厚生省公衆衛生局長、医務局長通達 
     精神病院の運営管理に対する指導、監督の徹底
1971年  平畑院長辞任、石川院長就任
     事務長石川裕郎(実弟)辞職
     松本幸雄(元宇都宮南署次長)就任
1972年  759床 
1975年  石川裕郎県議に当選
     病院を中心に報徳会企業を続続と設立
1983年  本館新築 930床(精神809床、内科55床、結核56床)

<コメント>
上記の冊子の裏表紙の年表を掻い摘んで転載した。そこで、気がついたのだが、初代の院長の平畑富次郎さんは、俳人である。医師で俳人でどういう人なんだろう。    

(2022年1月24日)