TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『脳科学者 ラモン・イ・カハル自伝―悪童から探求者へ」を読む

脳科学者 ラモン・イ・カハル自伝―悪童から探求者へ」を読んでいる。

 カハ―ㇽは、1852年5月1日に、スペインナバ―ㇽ県に県に生まれ、1934年10月17日に亡くなった。82歳だった。Santiago Ramon y Cajal(サンティアゴ・ラモン・イ・カハ-ㇽ)という長い氏名のなかで、ラモン(父方の姓)とカハ―ㇽ(母方の姓)の二つを付けている。一般には、カハ―ㇽと呼ばれている。1906年年にゴルジと共に、ノーベル生理学・医学賞を受賞したカハ―ㇽは、今日の神経科学・神経解剖学の基礎を築いた巨人として著名である。先に、萬年 甫さん(東京医科歯科大名誉教授・神経解剖学)のカハ―ㇽについての本を紐解いた時に、標記の本書の存在を知った。早速、川崎市立図書館にリクエストしたところ、直ぐに借りることができた。

 『脳科学者 ラモン・イ・カハル自伝―悪童から探求者へ」(里文出版、平成21年2月28日刊)だから、まだ出版されて間もない。小笠原健ニさん(1924年生まれ、京都大学医学部卒、精神科医)が翻訳されている。小笠原さんは既に引退されているとのことだ。精神科医師として、小笠原さんの弟子筋にあたる、後藤素規さん(1946年生まれ、大阪大学基礎工学部卒後神戸大学医学部卒、精神医学)が、本書の編集をしている。

 さて、本書を半分ほどよんだところで、この小文を書いている。実は、前半の謂わばあカハ―ㇽの「我が生いたちの記」は、幼少期の父親との軋轢、そして小中学校時代の徒の数々は度肝を抜くほどのものである。単なる子どもの悪戯の範疇を超えて、火薬を作製して壁をぶち抜き、あわや失明の危機にも接したりする。常軌を逸するほどの悪童鰤なのである。編者の後藤さんが、末尾の解説のなかでカハ―ㇽの攻撃性について次のように述べていたので首肯した。
<私がカハ―ㇽに惹きつけられた第一の理由は、彼の前半反生において、攻撃本能は適切に表出されなければならないという私の攻撃性に関する考えが見事に具現されていたからである。少年期から思春期にかけて彼は自らの攻撃本能を現実の世界の中で何ら抑制することなく表出し、その結果を直視し、そこに伴う喜びや悲しみ、怒りや諦めといった諸感情を体験し、それらを知的に理解することで見事に自らの攻撃本能を昇華させていった。>

 いよいよこれから後段の、医学部への進学の項目から、カハ―ㇽの学問に向かう足跡に入っていく。カハ―ㇽは、1852年生まれということだから、明治維新(1868年)より16年前(日本の江戸末期)の生まれであるから、その青春時代は、日本の明治初期ということで、そんなに昔の人ではないとしった。

(続きはまた書く)