山田風太郎という作家が「あと何千回の夕食」というエッセイをずいぶん昔、私が会社勤めを始めた頃に(記憶に間違いがなければ)「夕刊フジ」という新聞に連載されていた。五木寛之さんの「風にふかれて」という連載エッセイも同じような新聞の連載だったと思う。当時はスマホなんてないから、多くが通勤の電車中で新聞を読んでいたのだった。
さて、「あと何回の夕飯」はあと何年くらい生きられるかということであろう。「あと何冊本をよめるだろうか?」というのが、今日の私のテーマである。
小島信夫さんの『私の作家遍歴』は、要するに小島さんの読書ノートふうな物語である。この本を読みながら、私は、ドストエフスキー、トルストイもツルゲーネフも、まともに読めていなかったと知らされた。デュマ『モンテクリスト伯」のことも知って、『岩窟王』を翻訳で読んだ。少年少女版な『巌窟王』(講談社 青い鳥文庫)を、矢野徹さんの翻訳で読んだが、あまり面白さが伝わってこない。あげくのはてに、今度はロシアのゴンチャロフ『オブローモフ』に興味を持ってしまった。この本を借りて読むつもりだ。
ともあれ、19世紀末のロシアという国は、ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、ゴンチャロフ、ゴーゴリ、等々のロシア文学を生み出した。1845年~1879年という35年間は、日本でいえば、江戸末期から明治維新から明治10年くらいにあたる。この時代がロシア文学の華やかな時代だ。日本は、江戸の末期から明治の初めにかけて、外国人が日本に入ってきたころということになる。小島さんは、ラフカディオ・ハーンを書こうとして、そこから枠が広がって、ドン・キホーテからハムレット、ロシアの作家たちへと遍歴してしてしまったのだ。読書というものはこういう広がりでよいし、これが面白いと知った。