TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像― (134)大友英一さんと『ぼけになりやすい人なりにくい人』(栄光出版社)と「認知症」という用語について〜 2006年11月

(134)私の「医人」たちの肖像― 大友英一さんと『ぼけになりやすい人なりにくい人』(栄光出版社)と「認知症」という用語について〜 2006年11月

 

 久しぶりに大友英一さんのお名前を目にした。大友英一先生には、在職中に随分長い間お世話になった。大友さんは、東大の沖中内科から浴風会病院に行って、そこで長年に渡って日本の高齢者医療を推進してきた方だ。お生れが東北(たしか秋田)であり、最期まで秋田弁が抜けなかった。秋田弁を寧ろ守っていらしたのかもしれない。
 大友さんは、私が医学書院に勤務していた時代に、「脳と神経」という雑誌の編集委員会で随分ながいあいだお世話になった。まだ、認知症が「老人の呆け」と言っていた時代の、認知症医療の第一人者でであった。標題に掲げた件の本のタイトルに、「ぼけ」という言葉を残しているのはかえって新鮮な気がする。この本のキャッチコピーはこうだ。「認知症予防10カ条」の提唱者がすすめる、認知症しらずの人生!」大友さんは、こういうことを書いているようだ。
 《認知症の治療は困難ですが、予防は可能です。認知症予防の第一人者が、認知症知らずの心豊かな人生を送るために、日常生活で習慣化できる、認知症予防をわかりやすく紹介している。》
 この本を図書館にリクエストしてみよう。(2022.3.3)

 

 大友英一さん(元浴風会病院長)が書かれた本を三冊借りてきた。大友さんは、聖マリアンナ医大の長谷川和夫さんと並んで同時代の 老人の呆けの臨床の 草分けの方だと思う。そこで、大友さんのことが気になっていた。本日、稲城図書館にリクエストして大友さんの書かれた次のような本を3冊借りてきた。
 ①『ぼけになりやすい人なりにくい人』、栄光出版社、1999年(平成11年4月)、

②『ボケない生活—アルツハイマー病も生活習慣病だった』、祥伝社、2004年(平成16年12月)、

③『ボケとアルツハイマー病—生活習慣病だから予防出来る』、平凡社新書、2006年(平成18年11月)
 大友先生の本を三冊も借りてきたのには理由がある。それは上記の三冊の本のタイトルにはどれも「認知症」という言葉を使っていないことに注目したからだ。「老人の呆け」は英語では〈Senile Dementia〉であり、文字通り「老人の呆け」である。名は体を表すの謂通りで、「老人のぼけ、ボケ、惚、呆け」でなんらの問題はなかったはずでる。ところが、2004年(平成16年)12月24付で、厚生労働省が、「痴呆」に変わり「認知症」という用語を一般的な呼称や行政用語として使うことに決めた。「痴呆」という言葉が、侮蔑的な表現であり、かつ「痴呆」の実態を正確に現していないというのがその理由だった。この名称変更には、医学・医療の専門家でない一介の医学記者の私でも違和感を持ったのを覚えている。
 「ちょっと呆け気味でね」とかの言い方は比較的柔らかいが、「認知症」というと、ガチっとした病気の宣告を感じる。大友さんの上掲の三冊の本の発行年を見ると、①は未だ「ぼけ」が使われていた時代だ。②と③は「認知症」に名称変更がなされてから出ている。にもかかわらず、大友さんは「認知症」の用語をタイトルに使っていない。ということは、大友さんは「認知症」という言葉を推奨していないのだろうと推測した。果たせるかな、③の本の「はじめに」で大友さんがこう述べていた。引用しておきたい。
 《さて、最近、「痴呆」という言葉が「認知症」という言葉に言い換えられるようになりましたが、これは医師や研究者などの専門家の意見を聞いて無視した行政書士主導によるものであり、筆者ははなはだ遺憾に思います。聞くとこによれば中部地方の一部の患者家族が申し出て、一部の医師が厚生労働省に働きかけたことがきっかであるといいます。しかし本来、このような病名変更は、老年精神医学会などを初めとする多くの専門家の意見によって行うべきでしょう。老年精神医学会では当分、従来の「痴呆」という言葉を使用することになっています。
 この病名変更については、「痴呆」という「言葉に軽蔑や侮蔑の意味があることが理由であると漏れ聞いていますが、筆者はこれに違和感を覚えずにはいられません。痴呆の症状を蔑んでみたり、軽蔑した心で見ること自体が間違いなのであり、そうした偏見を改めることなく病名だけを言い換えても、そこにどれほどの意味があるのでしょうか。多くの患者とその家族が病気を受け入れ、日々を懸命に生きている姿を間近に見てきた筆者は、病名変更という表面的な配慮ではなく、そうした人々に対する理解、優しい心、節度ある接し方こそ大切であると考えます。
 さらに、痴呆の症状は認知のみではなく、認知したことを忘れてしまう健忘こそが主な症状であること、さらに認知や健忘のほかに行動などの異常もみられることからも、認知障害だけに焦点を当てた新しい病名は、十分にこの病気を表現するものではありません。
 以上のような理由から、筆者は「認知症」という表現に疑問を有しており、そのため本書では「痴呆」という言葉を使用していることを、ここに記しておきます。」

 「認知症」ということばに対する大友さんの見解がよくわかるので敢えて長い引用をしておいた。この本が出版されたのは2006年11月であるから、名称変更の2年後のことだ。爾来、16年が経過した2022年の現在、「認知症」という言葉はすっかり一般に定着した感がある。だが、いまもってその違和感はある。

 さて、肝腎のこの本を全部は読んではいない。目次建ては以下のようだ。
第一章 アルツハイマー病が増えている
第二章 アルツハイマー病とは
第三章 アルツハイマー病の診断と治療
第四章 アルツハイマー病以外の痴呆症
第五章 アルツハイマー病の原因となる血管病
第六章 動脈効果を防ぐ
第七章 アルツハイマー病と食生活
第八章 脳の老化を防ぐ
第九章 ぼけやすい人・ぼけにくい人
おわりに 足を鍛え、自分の足で歩く、「生涯現役」の意識をもとう

 全部は読んでいないのだが、第九章をまとめておきたい。
どんな人がぼけやすいか
(1)真面目で几帳面な人—私の家内は該当する。
(2)ものぐさな人―私ではないか。
(3)無気力な人—家内も私も違う。
(4)家族との会話が少ない人―私がそうだ。
(5)単調な生活をしているひと―私がそうだ。
ボケになりにくい人■
(1)社交的で考え方が柔軟であり朗らかで明るい人―二人とも駄目だな。
(2)積極的で、好奇心と意欲のある人―家内がそうだ。
(3)ファッションに興味を持ち、身だしなみやおしゃれに気を使う人―家内は合格、私は失格。

(4)おしゃべり上手で、友だち付き合いの多い人―家内は合格、私は失格。
(5)異性への関心を失わない人―私は合格。

上記の解説を読むと、当てはまる点もあるが、まあ積極的に身体を動かし、本を読んで過ごすのが好きだから、大丈夫かな?

老化による物忘れと痴呆による物忘れ■
 基本的なことは、物忘れを自覚している(病識がある)のは、自然老化によるもの忘れ。物忘れについて自覚がない(病識がない)のが、痴呆の物忘れ。
 以上が、基本的な判断区別のようだ。最近、物を落としたり、しまい忘れたりすることが多い。ただ、その忘れた自覚はある。先日、クレジットカードを落としたことに気が付かなかった。何時も入れておく引き出しに無いのに3日後くらいに気が付いた。最後に使用した日時を思い出そうとしたら、思い出せなかった。落としたらしいと気が付いたので、カード会社に連絡した。その時に、最後に引き落とされた日時を尋ねた。その結果、最後に使用した場所が特定できた。そのお店に行って尋ねたら、保管してくれていた。この折の、物忘れ(落とし物)には自覚があった。まだ、「自然老化」かもしれない。それにしても、落とし物、電気の消し忘れ等の失敗が多すぎる。
生涯現役の気概を持つ
 「アルツハイマー病が生活習慣病であうことが解明され、しかも若年性アルツハイマー病が増加の一途をたどっている今こそ、年代を超えて多くの現代人が意識改革を行い、食生活化生活態度、考え方に至るまで軌道修正してもらいたいと思います」と、最後に大友さんは、のべている。正鵠をついている。
 生涯現役で活躍しているひとに、「深酒をする人は一人もいない」「なんらかの運動をこころがけている」「ほとんどの人が筆まめである」が大きな特徴であるという。「深酒」が私の要注意点だろう。

(2022.3.3)

(私の「医人」たちの肖像― 〔134〕大友英一さんと『ぼけになりやすい人なりにくい人』と「認知症」という用語について〜 2006年11月)