TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『最後の講義ー私の作家遍歴 Ⅱ』(小島信夫)を読み継いでいる

 小島信夫さんのこの本は、小泉八雲ラフカディオ・ハーン)を縦糸に語っているもの だが、いつのまにかロシアの作家ゴンチャロフについての語りになった。ゴンチャロフは、『オブローモフ』の作者で有名なのだが、このゴンチャロフは、プチャーチンが日本に来た時の秘書官として同行して長崎に来て戻ってから、『オブローモフ』を完成させたんだという。これをキッカケに『オブローモフ』も読み始めてしまった。この小説の主人公であるオブローモフは、日本人でいうと物臭太郎というもので、なにもしないでゴロゴロしているんだという。ゴロゴロしていていい暮らしがでっきるということは、こういくことだ。オブローモフは地主で貴族であるのだった。独身で邸宅に住んでいて召使の下男も一緒に住んでいるから、物臭太郎で生きられるわけなんだと知った。

 さて、『最後の講義ー私の作家遍歴 Ⅱ』の最初は、20 私のイワンが東洋の海を、21 皇帝の使者、まで読んでいる。「私のイワン」というのは、ゴンチャロフなのである。小島さんは、プチャーチンの秘書官であったゴンチャロフが書き残した「日本渡航記」を延々というほど引用しながら、眠ったまま(鎖国)の日本の扉をこじ開けるべくやってきたロシアの艦隊おプチャーチンの秘書官ゴンチャロフの筆を遅々として進まないロシアと江戸幕府とのやりとりを描いている。
 「ゴンチャロフプチャーチン提督の秘書官として1853年、嘉永6年に日本にやってきた。」
 これは、今から169年前のことであった。江戸幕府が200年以上続いたたことを思えば、そんなに昔のことではない。そのときから、日露戦争があって、二つの世界大戦もあって現代にいたっている。1918年から1991年まで、ソ連という国がロシアを支配していた。そして、今日現在、ロシアのプーチン大統領は、隣国ウクライナへの侵攻を強めている。いまさら、『オブローモフ」を読むのも錯誤もいいところだが、間よみながら考えてみたい。