TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『暇と退屈の倫理学』(國分巧一郎)という本(朝日出版社)を借りてきた

 『暇と退屈の倫理学』(國分巧一郎)という本(朝日出版社)を借りてきた。稲城図書館の返却棚で私をまっていたのだ。
 國分さんといえば、医学書院のケアを開くシリーズで『中道態の世界ー意志と責任の考古学』という本を、2017年に出した人だ。この本がヒットして、國分さんは朝日新聞などにも頻繁に論説やらエッセイ―を書いている。私はこの本を読んでいない。
 さて、『暇と退屈の倫理学』は2014年に出ているから、まだ國分さんが高崎経済大学の准教授の時代だ。大学で博士課程をでたり、海外留学をしても、特に文科系は大学で教師(教授)になるポストが限れれている。國分さんも、高崎経済大学だけでなく、明治学院大学などで、学生に哲学(「なんだろう)の講義をしながら口を糊していたようだ。このほんは、その折の講義の記録をもとに描き下ろしたもののようだ。

▶暇ってなんだろう?
 「頭のいい人はいるもんだ」というのが、この本を読み始めて思う。このところ、いや昔から、「暇とで退屈で困った」という経験がない。何時もナにか、アクセクシテいる。働くというのではなくても、こうして本を読んでいるとか、外を歩いているとかしていると時間が過ぎてしまう。暇を感じるひまがない。
 この本は、國分さんの若書きの本のようだ。何しろ、書き手が一人称、それも「俺」という人称で書いている。この本を、読み通せるかどうかはわからない。少し、感想を書きながら読んでみたい。

■序章 「好きなこと」って何だろう?
 退職して暇になったら好きなことをして過ごそう。こういう話はよく聞く。つまり、生きるために(食うために)働くなくてもよくなったら、「好きなこと」をやって暮そう。実は、食うだけで精いっぱいの時には、退屈なんかしないのだ。だからと言って、第二次世界大戦後の、食料不足の時代の、食うために一杯いっぱいの時代に戻りたいというのではない。

 こういう結論じみたことが書いてあった。

―人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない。

(更新予定)