TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

頭のよい人の書いた本は面白い

 小島信夫さんの『最後の講義―私の講義Ⅱ』と國分巧一郎さんの『暇と退屈の倫理学』を併行して読んでいる。

 小島信夫さんの本は、「鳶とうずら」「完全な幸福」まで読んできた。この辺になると、トルストイについての件である。小島さんは、「アンナカレーニナ」を絶賛しているのである。小島さんは、長い引用をしながら、読書を進めて分析しているので、どこからどこまでが小説の引用なんだか、!分からなくなってしまうほどである。ともあれ、面白い。
 一方、『暇と退屈の倫理学』のほうは、「第三章 暇と退屈の経済史」まで読んできた。まさに、目から鱗の本に出合った。頭のいいひとの書いた本は面白い。たとえば、私の現役時代の1990年代の末から、始まった派遣労働者という社会制度は、多分、小泉内閣の頃だと思うが、それは小泉さんの悪政というわけではなく社会構造の変化によるものなんだという。國分さんが、こう書いている。引用する。

〈暇とハケン退屈の倫理学〉とハケ

 <現在、派遣労働や契約社員といった非正規雇用の拡大が大きな社会問題になっている(日本では働いている人の三分の一が非正規雇用である)。この問題は企業や経済団体、そして政府のモラルの問題のように思われている。つまり、非正規雇用の労働者をこき使って、一部の人間がボロもうけをしている(それはたしかにそうなのだが・・・・)のだから、社会正義の観点からそうした一部の特権階級を弾劾し、労働者を保護せよ、と。>
 ここまでは、そいうことなのだろうと、私も思ってきた。ところが、このあとこう続く。
<もちろん、この主張は正しい。だが、非正規雇用は、単にだれかがズルをしているから生み出されたものではない。現在の消費=生産スタイルがこれを要請してしまっているのだ。つまり、モデルチェンジが激しいから機械に設備投資できず、したがって機械にやらせればいいような仕事を人間にやらせなければならない。売れるか売れないかわからない儲けを短期間で何度も強いられるから、安定して労働者を確保しておくことができない。したがって、労働者を企業の都合のよいように鍛え上げていくというプロセスすらも成立しない。>

 こういう議論を提起して、國分さんは、現在の消費社会のあり方について、〈暇と退屈の倫理学」という観点から分析を続けていく。「〈暇と退屈の倫理学〉は、労働の諸問題にも深く関わっているのである。>

 ともあれ、定年退職して、暇があるから、こんな本『暇と退屈の倫理学』を読めるのである。うえで引いた個所に関連して「はてな」と思う。例えば、私が口を糊してきた医学出版社の仕事は、「モデルチェンジが激しい」業界ではなかった。それでも、1990年年代(いまか30年前)から、非正規社員(派遣労働)が増えてきていた。本や雑誌の製作も熟練労働を必ずしも必要としなくなったのだろうか?今はどうなっているのだろうか。