TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「文字に香るもう一つの世界― ふと立つ 詩の入口」(穂村 弘 言葉季評)に触発されて書く

 言葉は生きている。名前も生きている。
 昨今、親による幼児虐待の事件が相次いでいる。犠牲となってなくなった子どもの名まえが「心愛(こころ)」ちゃんとか、すばらしい名前であることが散見されたりした。この世にうまれたときに、親は子どもの将来に幸あれと願って心より愛でて、「心愛」の名前をさ捧げたのであろう。それなに何故と思う事例に遭遇したりした。
 さて、本日は歌人の穂村 弘さんの「言葉季評」を興味深く読んだ。穂村さんの記事から、引用しながら感想をかいてみたい。<  >内は引用。

<例えば、こんな歌がある。
  ふうわりと蜂蜜香る振込先熊本銀行花畑支店 伊藤まり
 振り込み先の「熊本」銀行とその支店という名前を見た時、ふと蜂蜜の香りを感じたというのである。>

 2001年に、「田無」市と「保谷」市が、合併して「西東京市」が生まれた。
これにに対して、穂村さんがこう言っている。

 <地名とは単に地理的な識別のための記号ではなく、その背後に固有の時間を負っている。現在の利便性のために、それを消し去ることはに怖れを感じるのは、自分自身がいずれはその時間の中に溶け込んでゆく存在だと心の奥でしっているからだ。>

 全く同感である。私は、結婚して最初に家を借りたのが、保谷のキャベツ畑の中の一軒家だった。「保谷」市には、「保谷硝子」という会社もあった。「西東京」市では、東京の西にあるようだ、としか分からない。「田無」市には、田んぼや畑がたくさんあった。
 穂村さんは、次のようにも言っている。
<この世のすべてを合理性で埋めてゆくと、目に見えないもう一つの世界が消えてしまう。でも、我々の心の半分は、そちら側で生きているのではないだろうか。>

 冒頭に、子どもの「名前」のことに触れた。私の名前は、「悳夫」というのだが、この画数の多い名前が幼少時は嫌いだった。書きにくいのだ。「太平洋戦争の終戦後に生まれたので、父親が、直の心の男に育つように、漢和辞典で捜した文字を充てたらしい。その由来をきけば、一生を背負って生きていくことになる。「直」に「心」のままであるから、融通の利かない男として育ったものだった。