TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「ロシアよ、兄弟を殺すとは」の記事を読んで

 ロシアのウクライナ侵攻は、東京の人が秋田に侵攻したよなものなんだと思う。ロシア語とウクライナ語の違いはどのくらいなのかもしらないが、東京の言葉と秋田弁は随分違うから、そんなもんではないのか。
 実はロシアのウクライナ侵攻が始まってから、かつてロシア文学科で学んだ私は少し複雑な思いを持っていている。ここ数カ月、小島信夫さんの本を読みながら、ゴンチャロフツルゲーネフドストエフスキートルストイのことなど、ロシア文学のことを思い、ついに昨日から、『復活』を読みだした。少し前に、中村健之介さんが1990年だいの最後に書いた「(ソ連に対する)69年間に及ぶ国民劣化」というエッセイを読んだりした。今回のロシアによるウクライナ侵攻を、ロシア文学の専門家はどのようにとらえているのだろうかと思っていた。そのりに本日(2022年5月3日)の朝日新聞朝刊に、亀山郁夫さん(ロシア文学者)が「ロシアよ、兄弟を殺すとはー非暴力の願い死への想像力を研ぎすまして」という寄稿文を書いていた。
 以下に引用しながら読んでみたい。冒頭にこうある。

 <2021年11月11日、モスクワ市内にあるドストエフスキー博物館で開かれた生誕200年式典に出席したロシア大統領プーチンは、メッセージノートにこう書ききした。
 「ドストエフキーは、ロシアの天才的な思想家にして愛国者
 ロシア軍のウクライナ侵攻に先立つおよそ三カ月半前のことである。>

 <最晩年のドストエフスキーはたしかに、プーチンの考えに通じるスラブ民族の一体化という愛国的世界観を表明していた。・・・・・1877年の露土戦勃発の際も、オスマン帝のもとで独立を勝ちとろうとするスラブ系諸民族との連帯を訴え、国内に続々と生まれる義勇兵たちへの称賛を口にした。そして、それを正当化するかのように、最後の小説『カラマーゾフの兄弟』では、ブルガリア人に対するオスマン軍民の蛮行を、言葉の限り暴き立てて見せたのだった。>

露土戦争。そして『カラマーゾフの兄弟』の刊行から約百五十年。同じ黒海に臨むウクライナで起こった「戦争」は、抑圧的な異民族との戦いではなく、同じスラブ民族同士の血で血を洗う兄弟殺しと化した。発端は、独裁者の脳裏にこびりついた恐怖と復讐心、そして過てる宗教的使命感である。>

 日本の明治維新は1868年だから、1877年の露土戦争明治維新の9年後、明治9年のこだった。

<1877年の露土戦争当時、ドストエフスキーの「好戦性」とは対照的に、頑として非戦論を唱え続けた作家がいる。『戦争と平和』の作者レフ・トルストイ。若い時代、クリミヤ戦争での従軍体験をもつ彼は、福音書の教えにならって説いた。
「暴力によって悪に抗せず」
 ウクライナ侵攻当初、私が一縷の望みを託したのがこの言葉だった。>
 亀山さんは、次のように結んでいる。ロシア文学を読んできた同時代人の言葉として書きとめておきたい。
<・・・・独裁者(プーチン)から使い捨てにされ、良識ある市民からも見放された兵士たちは、何のために、だれに向かって銃を放てばいいというのか。国民の「熱狂」が支えだというのか。
 私たちは今、そんな彼らを地獄から救いだすすべを何ひとつ手にしていない。できることは、ただ、死への想像力を研ぎ澄まし、勇気と誠意をもって「真実」と怒りの言葉を発しつづけることだけである。>

 ⇒<コメント> 今回の、亀山さんの寄稿はロシア文学者しての叫びであり正鵠をついていると思う。先日、 
<火柱のロシアの戦車に溜飲が下がるそこにも人がいるのに(観音寺市 篠原俊則)>
 という短歌を朝日歌壇で読んだ。もしかしたら、ロシア軍の兵士の多くが、もの言えぬ民であるのだと思う。