TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

暮らしの哲学 池田晶子 を読みながら考える

 小田急線の開成町から箱根大雄山の保養施設オンリーユに泊まりにきた。早くついたので軽く昼食を済ませ、チェックインまでの空いた時間にベランダ で、池田晶子 暮らしの哲学 を読んでいる。46歳で早世したこの若い哲学徒の書いたものを、好んで読んだことを想い起こす。例のLGBT関連の差別事件絡みで廃刊になってしまった雑誌 新潮45 に載っていた 池田晶子さんと死刑囚の何とかさん、陸田真志さんとの往復書簡 形の連載が好きだった。池田さんは、可愛いひとに似合わず、変な言い方だが、真のひとだということがわかった。子どもを持たないという条件で結婚もしていたらしい。相手は大したできた男性だと思う。私なら池田さんを好きになって、剣もホロロにあしらわれただろう。この池田さんは、46歳の若さで癌に倒れたのだ。 

 いま読んだ件の本に あなたの親は親ではない という一文章が あった。

 我々、それぞれが寄る辺なき魂として、この無辺際の宇宙の中で、どこから来てどこへ行くのかも全然知らない。じぶんがある人格としてこの世に生存しているなんて理解不能の事態であって、たまたまある親の腹から生まれたけれども、その親だって本当は、自分が誰であるかを知らないわけです。

親をやってる皆さん、こういう感じ方をしていると、親子関係ははるかに味わい深いものになりますよ。不思議の御縁を大切にしましょう。いずれ我々、宇宙の旅人なんですから。

 この文章を、池田さんは、父親の死んだ直後に書いている。つい先日、徳永 進さんについて書いた時に、鶴見俊輔さんが、家族は親しい他人と言っていた、ということを書いていた。

 最近、私の同伴者は、もう50年も一緒に生活してきたが、最悪の家庭で無躾にそだった男に引っかかった、と私のことを臆面もなく言う。二人の間に授かって成人した娘たちも、悪い男の血が半分流れているのて 悪貨 であるという。さもありなん、と私は感受する。謙虚というのとも違う。

 池田さんの本を読み鶴見さんの言を読むと、今更ながら家族は偶然の同伴者であるだろう、と思う。

 森の中の温泉宿にいると、なんか気分が明るくなってきた。やはり、生きるためだけに食う、消費するのではなく、旅をする、薔薇を愛でて浪費することが、私たち人間には必要、と改めて感じた。