TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『小説の読み書き』(佐藤正午)を読みながら考える

 『暗夜行路』と『復活』を並べて交互に読んでいる。その合間に、町田康さんの『しらふで生きる」の三回目に取りかかっている。というより、節酒のエネルギーを町田さんの本から頂いている。

 <昨年(2003年)、「読者が選ぶ(私の好きな岩波文庫)」よ題したアンケートというか人気投票が行われ、その。結果ベスト五に夏目漱石の小説が三冊入った。四位に『吾輩は猫である』、二位に『坊ちゃん』、そして一位が、『こころ』>、ということなんだって。
 「こころ」は、多分、高校生くらいに読んでおり、昨年、たしか、高橋源一郎さんの「近代文学盛衰史」(だったろうか)に触発されて、読み返したのだった。たしか、主人公が、関西から東京に出てくるときに、偶然乗り合わせた女性と、名古屋か何処かで乗り継ぎのために一泊せざるをえなくなり同宿を余儀なくされた。別れ際に、「勇気のないひとね」のように女に言われてしまったのが学生の主人公だったのではないか。それは、ともかく、「こころ」の主人公は実は「先生」なのだ。

<私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。・・・・>

吾輩は猫である。名前はまだない。>

 「こころ」と「吾輩は猫である」の書き出しを引いた。佐藤さんが、この書き出しは同じパターンだと言っている。言われてみると、その通りなのである。そして、明治の時代の小説なのだが、いまでも新鮮に感じられ通用する。国民文学という証拠なんだろう。

 それにしても、それにしなくても、作家の書く文章はわかりやすいと感じる。