TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『和解」』志賀直哉を読み終えたー父と子のテーマに思う

 『和解』を読み終えた。志賀直哉って作家は、私小説作家だったんだ。『暗夜行路』は、『和解』と並行していうか、一部分は先にできている。「時任謙作」のタイトルで、父との葛藤を書き始めて完成しないうちに、父との和解が成立して、『和解』を先に書いて発表した。

 新潮文庫の『和解』の解説を作家の安岡章太郎さんが書いている。この解説で分かったことが随分ある。志賀直哉私小説作家でいいのだと思った。生まれの良いお坊ちゃんなのだ。祖父母に甘やかされて育って学習院から東京帝国大学に入った。学生時代に家の女中に恋をして、結婚をしたいと言って、反対された。その時の経験が『大津順吉』という小説に書いてあるらしい。それが23歳の時で、24歳で大学を中退している。それに先立ち、渡良瀬川鉱毒事件に際して、視察に行こうとして父親と激しく対立している。渡瀬川の銅山経営者の古河家と縁故が深かったので、鉱毒事件に際して農民に同情を寄せる立場で現地に行くことが、父親には許せなかったらしい。

 いずれにせよ、お坊ちゃんの志賀直哉は、『大津順吉』を中央公論に発表して、初めて原稿料をもらって作家として生きて行くことを指向する。というより、「暗夜行路」の主人公そのものが、父との不和を抱えた作者志賀直哉そのものである。有名な短篇『城崎にて』は、ぼんやりしていて電車に撥ねられ大怪我をして、その療養でおとづれた地域でのことを書いている。
 父と子の葛藤を描いたものは古今東西で多いはずだ。ツルゲーネフの『父と子』という小説はどんなだったろううか。主人公は、確かバザーロフだったろうか。これも読んでみたい。

 さて、『和解』のテーマは、父と息子の葛藤というか、軋轢なのだ。良家の資産家らしい相馬の士族の家計に生まれている志賀直哉は、実は庶民の苦しみは知らないのだ。お坊ちゃんの父さんとのお話なのだ。私は自身の『父と子』のことを考てみる。父と子の『和解』に至る前に、互いに理解をする前に捨ててきてしまった。こんなことがあった。18歳の高校3年生の時であった。中学時代の同級で別の女子校に進んだ女生徒から突然の手紙が届いた。その手紙を私の父は私より先に開封して読んでしまい、「こんなのが来ていたぞ」と言って渡してくれた。それに対して、高校生の私は抗議もせずに黙っていたのだった。ただ内心では、この親から離れていかなくてはならないな、と心の奥底で決意した。親に対して意見をいうとか、これが欲しい、あれが欲しい、あれが食いたいとか、言える状況には家の暮らしがなかった。要するに極貧で心も貧しかった。その頃、トルストイの「アンナカレーニナ」の冒頭の文章を読んだ。「幸せな家庭というものは、みな似通っているが、不幸な家庭というものはそれぞれに不幸である」これである。
 私は、私の父は悪い人ではないが、不幸な人であると思ってきた。反抗ができなかった。学校の成績のよい大人しい息子を演じていて、1年浪人までして大学に入り、学園紛争をいいことに、5年もかかって卒業して、ようやく社会に出てきた。そして、歪んだママの性格で、他人さまに迷惑をかけるのではない、という親の言いツケは、遵守して七五歳まで生きてきた。
 『和解』というより、初めから父親と対立もできず、私の父との関係はなんだったんだろう。父は、多分、不幸なままで69年の生涯を閉じた。その命は、よきにつけ悪しきにつけ私の中に生きているんだろう。私には息子がいないので、息子の気持ちはわからない。息子がいたら、こんな柔弱な父親を批判するのだろうな。