TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」達の肖像― 〔165〕『アダルト・チルドレンと家族』(斎藤 学,1996年刊)のこと

(165) 私の「医人」達の肖像―『アダルト・チルドレンと家族』(斎藤 学 1996年4月1日刊)のこと

 斎藤学さんのことが新聞にでていた。朝日新聞夕刊(2022年6月29日)の「時代の栞」という記事欄に「幸せ神話に一石」というタイトルのもと斎藤さんの書かれた本『アダルト・チルドレンと家族』(1996年刊)が大きく紹介されていた。真田香菜子さんという記者の署名記事だ。この記事には斎藤学さんの最近のお顔写真ものっていた。きびしいお顔だ。斎藤さんは既に八一歳ということなので、私より6才年長なのだ。興味深いので引用しながら纏めておきたい。
 「アルコール医療」をテーマにした座談会企画相談のため斎藤さんを訪れ独自取材したのは1990年代だった。その当時、斎藤さんは東京都精神医学研究所に所属されていた。慶応義塾大学出身の若手精神科医だった。印象はとても暗い重い感じの人だった。「アルコール医学」の座談会に精神科医の立場から参加していただいた。

《 家庭はあたたかくて幸せな場所。母と娘は仲良し。家族に対する固定観念を一つの言葉が大きく変えた。「アダルト・チルドレン(AC : Adult Children of Alcoholics)」は、アルコール依存症の親の下で育ち成長した大人が語源で、酒に酔った父親から繰り返し家庭内暴力(DV被害)にあうなどして、大人になってからも生きづらさを抱えた人たちを指す。米国のアルコール依存の臨床現場から生まれた言葉だ。》

アダルト・チルドレン」は、アルコール依存症の親の下で育った子どものことだけではなくて、もっと一般的な「家族の病」だと私は理解していた。ACを日本に紹介したのが精神科医斎藤学さんだった。米国の心理学者のクラウディア・ブラック(Claudia A. Black)が提唱する概念として、1989年に開かれたシンポジウムと、それに合わせて刊行された英訳書で取り上げられたのが最初だった、という。
 クラウディア・ブラックさんは、米国のソーシャルワーカー社会心理学博士だ。研究テーマは家族システムと依存症・嗜癖アディクション)である。上記は、ウキペディアからの転載であり、クラウディア・ブラックさんについての詳細を調べ切れていない。
 『アダルト・チルドレンと家族』という斎藤さんが1996年に刊行した本(学陽書房)で、この言葉が人口に膾炙した。この本を私未だ読んでいない。1996年と言えば、1993年に医学界新聞の担当から医学雑誌部に異動したので、医学雑誌の製作を覚えるのに精一杯で、医学界全体の動向に目を配りする余裕がなかったのだ。「アダルト・チルドレン」は、おそらく一九九〇年代後半のキーワードであったに違いない。
 『家族は健全だという神話の裏側を思い切って書いたんです』。斎藤さんは、執筆当時をこう振り返る。・・・・刊行後に、斎藤さんの診療所には『自分はACかもしれない』と訴える人が殺到して、講演会には長蛇の行列ができた、という。
 《 時期を前後して、西山明さんのルポ『アダルト・チルドレン』や、臨床心理士信田さよ子さんによる『アダルト・チルドレン完全理解』、精神科医緒方明さんの『アダルト・チルドレン共依存』など、ACの実態に迫る本がでた。こうして、アダルト・チルドレンの概念はもっとひろがってきたのだった。
 《2010年代に入ると当事者の女性による『毒親』『毒母』をうたった本が相次ぐ。娘たちは、抵抗できない存在から、批判的な主体へと成熟してきたといえる。》
 アダルト・チルドレンは、アルコール中毒の父親だけからの影響でだけでは必ずしもない、と私は思う。母と娘、父と息子の関係は、昔からの課題である
「幸せな家庭というものは、みな似かよったものだが不幸な家庭というものはそれぞれに不幸である」
 この有名なロシアの作家トルストイの小説の冒頭の文章は、家族というものの危うさを表わしている。

 本日は、真田香菜子さんの署名記事「時代の栞」に触発されて、随分前にお世話になった斎藤学さんとアダルト・チルドレンに触れた。ともあれ、『アダルト・チルドレンと家族』(斎藤学、1996年刊)を、図書館にリクエストして読んでみたい。
(2022.6.29)
 <付記>
 夏日だった。本日は5月18日(2023年)だというのに気温が35度を各地で越えた。夕方から稲城図書館に本を返却しまた借りて来た。『アダルト・チルドレンと家族―心のなかの子どもを癒す』(斎藤学、1996、学陽書房)を読み始めた。この本は1996年に出た本だ。昨年6月に斎藤学さんをブログに取り上げた際にこの本のことは触れたが、読んだことがなかったので借りて来た。読み始めてみると恐ろしい本だ。自らがアダルト・チルドレンとの自覚があるからだ。
 <アダルト・チルドレンとは「安全な場所」として機能しない家族のなかで育った人々のことである。>と書いてあった。私の育った家が貧しかったが、いつも暴力で溢れていたわけでもない。それなりの素朴な楽しみもあったが、安定した家庭ではなかった。「アダルト・チルドレン」とは自らの生きにくさの理由を自分なりに理解しようと努める人がたどり着く一つの自覚である、と書いてある。大人になって自分なりに幸せな家庭を作ろうとして五十年のあいだ家庭を維持してきたが・・・。「第1章 家族に心を傷つけられた子どもたち」、「第2章 家族という危険地帯」まで読んできた。読書ができたのは今日も節酒に努めたからだ。それにしても、「心のなかの子どもを癒す」とはなんという副タイトルだろうか。子どもを持ったことの幸せと罪深さを思う。
(2023.5.18)

(私の「医人」達の肖像―〔165〕『アダルト・チルドレンと家族』(斎藤学 1996年4月1日刊)のこと)