ゴーゴリの外套を 私は読んだことがある。かのドストエフスキーさんが、 われわれはみんな 外套 から出て来たと言ったとか。つまり、ゴーゴリは 日本でいえば 夏目漱石 みたいな人なんだろう。 世に小説家が出てきた時の 一番の先輩なのであろう。トルストイやドストエフスキーを知っていても、ゴーゴリは 日本では余程のロシア好きでないと知らないだろう。
さて、小島信夫さんの 私の作家遍歴3を読んでいる。影を売った男というところを読んだ。こういう件がある。
〈外套を奪われたアカーキー アカーキエヴィッチにゴーゴリはどんな愛情を示したか。それは二百年前のモリエール程度ではなかった。愛情を示すためには、こっけいで、一番大切なものを、とうとうとられてしまうというのではなくてはならない。一番大切なものを取られるような人間だから、愛情を示してやるのである。〉
ということで、ゴーゴリはウクライナの地主の息子なんだという。
ながながと、小島信夫さんの本を読みながら思うのは、ウクライナとロシアの今の戦争のことである。今の戦争は、東京の日本政府が、独立した岩手県に侵攻しているのと同じようなことなんだろうとお思う。外套を読み直してみたい。