TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

みくりが池温泉に泊まり散策

  雨の中で「みくりがいけ温泉」に到着した。チェック時間よりも早かったが、雨降りだったので14時過ぎには部屋に入れた。
みくりが池温泉(山小屋)
 室堂平から石段道を下って、上り返して12分くらいで到着した。雨の中で、傘を差して慎重に歩いた。標高2410メートルの位置にあり、日本一高所にある温泉として知られる。すぐ下にある地獄谷の源泉から引き上げられた湯は、白濁した単純酸性湯とのこと。客室は6畳の和室が主だ。二段ベッドの相部屋もあるらしい。私たちは、早めに6畳和室を予約した(216号室)。部屋にはテーブルが一つあるが、蒲団を敷く時には隅に立てかけて置いた。やはり、座れる椅子やソファーがないと高齢者には大変だった。

みくりが池周辺を歩く
朝、8時15分に宿をでて、みくりが池の周囲を散策した。みくりが池は、1万年前の噴火でできた周囲600メートルの爆裂火口湖だ。周辺のハイ松の木陰ではらいちょうを目にすることがあるという。
 みくりが池温泉から右に雄山を見て、少し登っていったところが、エンマ展望台である。ここからは、日本で最初に発見された山崎カール(山崎圏谷)が正面に見える。反対側の谷底が、現在は、火山性ガスの影響で立ち入り禁止になっている地獄谷を俯瞰することができる。さらに歩いて行くと、らいちょう温泉雷鳥荘が左前方下に見える。右手に血の池、左手にリンドウ池を見ながら、50メートルくらい下っていくと雷鳥荘に至る。今回は、さらに20分くらいかかりそうなので途中で止めにした、40歳後半くらいの男性が一人で歩いてきた。Nさんが、「どちらまで行かれるの0ですか?」と尋ねると、「剣山荘まで」だという。剣山荘は、剣岳に至る山小屋のようだ。この方は、比較的に小さいザックを背負っていた。
 ここで引き返して、みくりが池温泉から、室堂ターミナルに戻る分岐点を左に進んだ。右に遭難者の供養塔を見ながら進むと、ミドリが池の湖畔にでた。正面に立山を望むミドリが池も格好のビュースポットだ。この辺りには、雪渓も残っていて雪の上を歩いた。ミドリが池からハイ松に囲まれた小高い丘に登りつめると立山室堂山荘が現れた。その隣には、日本最古の山荘と言われる「立山室堂」が立っていた。6畳二間くらいのガッチリとした木造建築だ。中に入って見学をした。室堂山荘でトイレをお借りした。そこで、アイス最中(200円)を買って、小休止して食べた。さらに、先に進み、登山道を下って行くと、玉殿岩屋に至る道があった。途中、雪渓で路が閉ざされていた。雪渓を横切って、サラに下って行くと、岩屋に至る。危険の下り道なので、Y子さんは止めて、私とNさんとで、岩屋を見学してきた。玉殿岩屋には、阿弥陀如来の化身である熊を射抜き、その後を追った佐伯有頼が、阿弥陀尿来から立山開山の命を受けたという伝説が残っているんだと言う。岩屋は、そんなに大きくはない。鎌倉のお墓に似ていた。
 岩屋から、室堂荘の近くのベンチで昼食にした。本日は、手持ちのパンとお茶で軽く済ませた。そのあと、遭難者の供養塔のとこ炉から、右に折れて下って、みくりが池温泉に戻って来た。13時10分頃であった。13時40分頃には部屋に戻り、少し寛いで転寝をした。16時頃に風呂に入った。頭の痛いのも薄らいできたので、17時30分からの夕食時には、ビールと日本酒を飲んだ。本日も、21過ぎには床に就いたが、同宿者の話声でなかなか眠れなかった。