TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「深層からみるウクライナ問題」というタイトルの記事が、朝日新聞の「ひもとくー大文明と小さな文化」に出ていたー興味深い

 深層からみるウクライナ問題」というタイトルの記事が、朝日新聞(2022年9月10日)「ひもとくー大文明と小さな文化」に出ていた。著者は、一橋大学名誉教授の田中克彦さんだ。この人の本は読んだことがあるような気がする。著書に『ことばと国家』『ことばは国家を超える』等があるとのことだ。
 実は、プーチンウクライナ侵攻は、ただ許せない蛮行だというのではなく、プーチンの論理というか主張を知りたいと思う。上記の、深層からみるウクライナ問題」は、とても興味深いないようだ。冒頭から引用しながら読んでいきたい。

<ロシアの大統領プーチン氏が、ウクライナに軍をすすめたとニュースで知った2月下旬。即座に思い出したのは、百年ほど前、フランスを代表する言語学者アントワーヌ・メイエが発した次の言葉である。「ロシア語の土語にすぎない」「小ロシア語を国語にすることは、農民の方言を都市住民に押しつけるもので、つまり文明を引き下げることである」と。ここにいう「小ロシア語」とはウクライナ語のことで、革命前のロシアではウクライナは小ロシアと呼ばれていた。>
 ふーん、そういくことかと知った。うえの文章は、1928年に出た『ヨーロッパの言語』(メイエ著)に載っているんだという。

<時代は異なるが、プーチン氏の念頭には、小ロシアのウクライナは、大ロシア同化し一体となるべきことが当然のこととしてあったにちがいない。ロシア文学の確立に大きく貢献したゴーゴリも、もとはウクライナ語で書いてもみたが、作家として成功したのは、大ロシアの首都ペテルブルクに移住し、そこで下級官吏の悲哀を描いた痛切な作品『鼻』『査察官』などを大ロシア語で発表した殻ではないかと。>

 なるほど、ゴーゴリウクライナ出身とはしっていたが、そういうことかとかと納得した。田中克彦さんは、小ロシアとフランスのプロヴァンスのアナロジーを展開している。

<一方、プロヴァンスでは、自分たちの言語で書くという運動が高まった結果、プロヴァンス語で『プロヴァンスの少女(ミレイユ)』(杉富士雄訳、岩波文庫)を書いたフレデリックミストラルが1904年にノーベル文学賞を得た。・・・・・ウクライナプロヴァンスも、中央から見下された「地方、田舎、辺境」を意味し、さらに「国内植民地」を暗示していた。>

 田中さんの解説を読むと、ロシアとウクライナの関係がよくわかる。この論文は、非常にわかりやすい記述だ。最後を全文引用する。

 

< この百年の変化(みだし) 
 ウクライナ問題を考える際には、政治の表層を追うだけにとどまってはならない。ロシア革命からこの百年の間に、学問の流れに巨大な変化が生じていた。まず言語学では、ソシュールの共時言語学が文明主義的、権威主義的なインド・ヨーロッパ比較言語学への決別を告げ、アメリカ生まれの文化人類学は、大文明ではなく、個別の文化に関心を移し、さらに日本では柳田国男が、日本の学問がすみずみまで大文明に侵されていくのを横目でにらみながら、ささやかな「常民」の生活に目をこらす民俗学の建設に取り組んでいた。その成果の一端は、『明治大正史 世相篇』(講談社学術文庫)に集約されている。>

 なるほど、こういうふうにウクライナ問題を大きくとらえることができるのか。目から鱗だ。田中さんは、つぎのように結んでいる。

<このような、学問に反映された人間の精神世界におけるドラマチックな転換にプーチン氏は学ばず気づかず、尊大な大文明主義に抵抗する諸民族に、「ナショナリストだ」と罵声を浴びせたのである。>

 ふーん、説得力のある解説文である。プーチン大統領を、「プーチン氏」と呼んでいるのも、抑えた筆致に感心する。
 記憶と記録のため、大幅に引用しながら書いておいた。