TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「イワン・イリイッチの死』(トルストイ)を読みながら

生老病死」という言葉がある。生きとし生けるもの、人に限らず全ての生きものはやがて死ぬ。輪廻転生ということはそういうことだろう。
 つい、最近、9月22日に、恩師の一人KNさんが亡くなった。自分の求めるままに生きて仕事をしてきたNさんも、10年くらいまえから沈黙していた。「病」と十年くらいたたかってきたのかもしれない。70歳を前にしてなくなった私の父も晩年の3年くらいは「病」の床にあった。脳梗塞の後遺症に加えてバイクの転倒による事故で言葉を失ってしまってからも1年近くを生きた。旧制三高から京都大学医学部を出て医師であった家内の叔父も晩年は脳出血に倒れ言葉を失って寝たきりの状態で数年を生きた。家内の母親つまり妹が見舞うと手で首を切る動作を行い「早く死にたい」と訴えていた、と聞いたことがある。誰にも生老病死がやってくるんだろう。そう思うと誰にも看取られずに蒲団の中で独りで死んでいった私の母親はいい方なのかもしれない。家内の母親つまり私の義母は摘便のあとで急激に血圧が下がってしまい搬送中の救急車のなかでこと切れてしまった。死に方によいわるいは無いのかもしれない。「生老病死」の「老」まできた私に残されたのもは「病死」なのだろう。

 さて、先に(9月2月5日)に恩師の城田俊先生を訪問した。その際に手土産代わりに私の草稿『医・人・時』(5V、130回分、2021年10月5日)をプリントして製本して持参した。思いがけず全部を読んでもらえてコメントまで寄せていただけた。以下に全文を残して置きたい。過分なコメントだ。

「『医・人・時』は今までに無い構成を見つけたという感じを持ちました。物理学の最先端では我々一般読者は興味の持続が保てない。医学は誰でも関心がある。そのトッピックがめまぐるしく変わっていくところが面白い。それに編集者として関わる、つまり一般の人の仲介者として立ち位置を得る。関わりながら時代を写し、自分の軌跡を跡付ける。これまでに無い、文章の作り方が得られたと感じた次第です。ハイジャック事件から始まるところもエキサイティングでした。ドスだけでなくチェホフ、トルストイ(例えば『イワン・イリイッチの死』、『戦争と平和』のアンドレイの死、ながめる空)をちりばめてくれればというのは無い物ねだりでしょうか。」

 上記のコメントは、過分すぎで感動ものである。私は、創作を意図して、『医・人・時』をまとめて来たのではないが、初めは、ランダムにおっもい出すままに「私の『医人』たちの肖像」のてーまで回想記としてブログの形で書いてきた。それっらを、経時的に並べ直して、つまり編集したのが『医・人・時』である。それが、城田先生のように読んでもらえるとしたら望外の喜びでらる。さらに、継続していこう。

 ということから、『イワン・イリイッチの死』(トルストイ)、北御門二郎訳(地の塩書房)を借りて来た。1986年12月刊行の本だ。『イワン・イリイッチのの死』はタイトルは知っているが、ロシア文学専攻の私が読んだことがなかったのだ。トルストイが好んで死を描いた作家との認識も恥ずかしながらなかった。新型コロナウイルスの世界的な蔓延に加えてロシアのウクライナ侵攻が重なり、私たちのなかで死をとらえ直し考える機運が起こっている。同時にトルストイの絶対平和への希求が見直されているのが今だろう。

 北御門さんの『イワン・イリイッチの死』を昨日から読み通した。この本はイワン・イリイッチという法律を学び裁判所に勤めた一人の平凡であったろう官吏が、結婚をして家庭を持って妻が妊娠してからは、「こんなはずではなかった」と思って夫婦喧嘩をしながら、より収入の多い職場に異動をしたりしながらやがて「病」を得て死んでいく物語である。
 先日、読み返した『復活』は、トルストイが筆を折っていたが、ある目的のために収入が欲しくて最後に書いた小説である。『イワン・イリイッチの死』は、『復活』より前にトルストイが書いた中編小説ということになる。
 最後のほうにこういう件がある。
 「結婚・・・・ついついふらふらと。そして幻滅、妻の口臭、肉欲、虚飾!そして死のような勤務、金の心配、こうして一年、二年、十年、二十年とーーーーいささかも変わらぬ日々の連続である。そして、歳月と共にますます無気力になっていく。まるで、自分は山を登っているつもりでいたら、実は下っていたようなものである。実際のところ、ほうんとうにそうだったのだ。世間の眼からみれば、私は山を登っていたが、実はそれだけ自分の足もとから生命が消え去ってい5たのだ。・・・・そして、さもういいからーーーー死んでしまえ! というわけである。」

 上記の引用はイワン・イリイッチが晩年になって衰えてきた頃のことである。まるで現代の私たちの心の動きと同じである。

 最後の死の場面はこうである。イワン・イリイッチは、三日三晩、苦しみ喚いていた。こういう件がある。

 「突然ある力が彼の胸や脇腹を衝き、ひときわ強く呼吸を圧迫した。と、その拍子に彼はどさりと穴に落ち込み、その穴の底に何か光るものがあった。汽車に乗る時よく経験することであるが、前に進んでいるのかと思っていると、実は後ろへ進んでいたりして、突然、本当の方角がわかるという、そうした現象が彼に生じた。」

 こうして、最後のさいごにイワン・イリイッチは喜びに包まれる。

「彼は以前から馴染みの死の恐怖を探したが、それを見つけることができなかった。死はどこにいる? いったいどんな死だ? 恐怖が全然なかった。なぜなら死がなかったから。死の代わりに光があった。「そら、これだ!」と突然、彼は声に出していった。なんという喜びだろう!」

 トルストイは、「イワンン・イリイチの死」で何を言いたかったのだろうか?
 そういえば、「光あるうちに、光の中を進め」というトルストイの本を持っていたよな気がする。

 ともあれ、『イワン・イリイッチのの死』を読み通した。