TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『劇的な精神分析入門』(北山修)を読んでいる―精神分析ってなに、フロイトはシャルコーに学んだのだ・・・

 読書は連鎖する。これが楽しい。石井均さんの『糖尿病臨床治療学』をよんだことから、北山修さんの本『劇的な精神分析入門』に辿り着いた。この本は、最初はもしかしたら、雑誌の連載エッセイなんだろうか?文字数が一定に収まっている。それはさておき、「はじめにー私が私でいるところ」から惹かれる書き方である。初めのほうで、小此木啓吾さん(元慶応大学教授・精神医学)の名前がでてきた。小此木啓吾さんが、お亡くなりになって、大手町かどこかで「偲ぶ会化、送る会」が開かれた。小此木さんの本は興味深く読んだことがあった。この「偲ぶ会」に会社宛てに案内状がきたので、社を代表して私出席のお返事をだした。すると、「当日、スピーチをしてくれ」と言ってきた。主催の方は、医学出版社だから、出版を通じて小此木さんとお付き合いがあったと勘違いしたようだった。スピーチはお断りした。

 それはさておき、北山さんの本を読み始めた。

 <・・・・・ところがその数年後、(北山さんが)帰国した私が、日本国内の学会で、そpれもシンポジウムの壇上で、ラジオで野球放送を聞きながらシンポジストをやっている希代の精神分析学者と出会ったのだ。それは心底たまげた出来事だった。彼について、自分の人生や自分の幼児期と結び付けて考えたことは今までなかったが、この本の原稿を書き上げ、この前書きの文章を書いているところで、今まさに思いついたのだ。彼の名は小此木啓吾、私の恩師の一人であり、日本にフロイト精神分析を紹介し広めたパイオニアだ。彼の業績については、改めて述べるまでもないだろう。>

 こんな具合で小此木啓吾さんの名前に行き当たった。こういう、「ながら族」が立派に精神医学の世界でまかり通っていたのだ。面白い。北山さんも、「ながら族」の一人であったのだ。そのことを、冒頭で北山さんは、十歳の頃に、鉱石ラジを聞きながら遊びに参加していて、父親に取り上げられ棄てられた幼い日の想いでを書いている。
 ということで、この本の趣旨はこうだ。
 「ここに掲げるのは専門的には「自己分析」の範疇に入るものだが、そういう二分法に抗して「私が私でいるところ」を示すために、一連の「遊ぶ考え」と精神分析との関係を綴ったエッセイである。」

 やはり、ここであらかじめ「精神分析」って何を、ネットで調べておきたい。

精神分析とは、精神科医ジークムント・フロイトが創設した、心を分析することで精神疾患を治療する方法です。心の構成要素のひとつ「無意識」下に抑圧されていた感情や記憶を意識化し、受け入れることで気づきや症状の軽減を目指します。>

上記の、説明を読んでも全くわからないな。ウキペディアをみたら、興味深い記述を見つけた。これは役に立つので全文を引用しておきたい。

シャルコーのヒステリー研究
 19世紀のヨーロッパでは、ヒステリーをはじめとする神経症は、精神科ではなく神経科の診断領域であった。ヒステリーの研究で有名だった神経学者であるジャン=マルタンシャルコーは、パリでヒステリー患者に催眠をかけ、ヒステリー症状が現れたり消えたりする方法を一般公開していた。
 1985年、そのシャルコーのもとへ留学してきたのが、のちに精神分析を創始することになるジークムント・フロイトであった。当時のフロイトは自然科学者・神経学者であり、主にヤツメウナギの脊髄神経細胞の研究や、脳性麻痺および失語症の臨床研究を行っていた。
 当時においてはヒステリーは原因不明の病気であり、脳に何の異常もない器質性んお病気ではないことが知られていた。そのため心因性の病気であると考えられていたが、根本的な治療法は見つけられていなかった。ただ、催眠療法が最も有効な治療法として確立していたようである。フロイトシャルコーのヒステリー講座に感動して、精神科医に転向したようである。>

 1986年、フロイトはウイーンにへ帰り、シャルコーのもとで学んだ催眠を用いるヒステリーの治療法を一般開業医として実践に移した。
 こういう、説明を読むと、フロイトのこともしりたい。ここまで、精神分析のことを押さえたうえで、北山さんの本を読もう。

 1 感動と創造性

 この冒頭の第一章は、さわりなのでまだ何をいいたいのかわからない。2004年の9月頃に、この辺のとこ雑誌の連載として、北山さんは書き出したようである。
 今日はここまで。