TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『イワン・イリイッチの死』(北御門二郎訳、地の塩書房)を読んで返却するまえに記録として

 『イワン・イリイッチの死』(北御門二郎訳、地の塩書房)を読んだ。この本は図書館から借りたので返却する。別途、読んでいる『知の整理術』(ファさん)の分類によれば、この本は重要度の高い本となる。古本屋で買った方がよい本だ。この本と同時に米川正夫さんの訳された『イワン・イリッチの死』(岩波文庫)も借りて来た。手元にある。そしてタイトルを読むと、北御門訳と米川訳ではタイトル表記が違うのである。「イリイッチ」と「イリッチ」である。「イ」が後者では抜けているの。原書タイトルは以下のようである。
 <スメルチ イヴァンナ イリイッチャ>
 ロシア語に厳密に発音すれば、「イリイッチ」のほうが近い。それはともかく、『イワン・イリイッチの死』を普通の庶民の死と捉えた私の読み方はよいようだ。ともあれ、トルストイを読み直すために、岩波版の訳者(米川正夫)による「解説」を読んでみた。知識の整理になるので以下に引用しておく。

 『アンナ・カレーニナ』完成の後、人生の根本的問題に関する深刻な苦悩と、それに続く宗教的更生を体験したトルストイは、ほとんど十年間芸術創作の筆を絶っていたが、新しい信仰が彼の心中に固定して、内部的平安が保証されるにつれて、再び生来の偉大な芸術的欲望が目覚め、活動をはじめた。かくして現れたのが『イワン・イリッチの死』である。久しいあいだ沈黙を続けた天才の芸術的復活に対する悦びと、作そのものの輝かしい出来栄えに対する讃辞は、当時の文壇社会に一つの大きなセンセーションを引き起こしたほどである。
 『イワン・イリッチの死』(1884ー86)は、その標題の示すがごとく、人生永久の問題たる死を主題としたものである。死の問題はトルストイにとっていっさいの根本となるべき重大なものであって、これまで幾度となく多くの作品の中で取り扱われて来たが、今度は彼は新しく確立した信仰の立場から見て、その真意義を啓示しようという意気で筆を執ったのである。しかも、この作品の他と異なるところは、いかなる点から見てもヒロイックな分子のない、きわめて平々凡々たる俗人をとって、一篇の主人公とした事である。『豚に悲劇がありえるだろうか?」とかつてニーチェが皮肉な反問を発したことがあるが、トルストイはこの作品によって、立派に肯定的解答を与えたわけである。しかし、彼が特に平凡な一俗人を主人公に選んだ真意は、こういう芸術的価値転換のためばかりではなかった。つまり、トルストイが発見した宗教的真理は、決して彼自身のごとき少数の選ばれたる人のみの所得ではなく、あらゆる人の到達し得る必然の境地であるという事を、芸術の形もって証明しようとしたのに外ならない。・・・・・・・・・・・。後略  (1928年7月、訳者)

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 長い引用をしたが、この岩波文庫の翻訳は、およそ100年まになされているんだと知った。今回は、北御門さんの翻訳で読んだ。米川さんの他に誰が訳しているんだろう。
 さて、ここで、肝腎の北御門訳『イワン・イリイッチの死』に触れておく。この「地の塩書房」の本は、「心訳シリーズ」と銘打っている。ほかに、『文読む月日 全二巻」(トルストイ編著)、『主人と下男』等が、北御門訳で出ている。
 標記の本には、『イワン・イリイッチの死』のほかに、北御門二郎さんによる「《トルストイを読む』ということ」のほかに、杉本秀生さんによる「北御門先生のこと」という文章が収載されている。そのほか北御門さんは、『イワンの馬鹿』『神の国は汝等の衷(うち)にあり』等も翻訳出版している。随筆集(武蔵野書房刊)『トルストイとの有縁』のなかに北御門さんの兵役拒否事件のことが書いてあるらしい。
 北御門さんは何回も新聞記事で読んだことがある。太平洋戦争の折に兵役拒否がまかり通ったのは運がよかったんだろう。「さりげなく精神病患者扱いされて、「『兵役とは無関係とす]と言い渡された」んだという。

 『イワン・イリイッチの死』を再読すために記憶と記録のために多くを引用してまとめておいた。