TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『田舎教師』(田山花袋)を少しずつ読んでいる

 『田舎教師』(田山花袋)を少しずつ読んでいる。三十一、三十二まで読んできた。代用教員になったばかりの主人公清三が、半月分の給料を手にして。多分、隣町の遊郭に遊びにくる場面がかいてあった。真面目一徹のような清三も若い男なのだった。

 一方で、『運命の謎』も読んでいる。少し面白くなってきた。小説を書くということはそういうことなのかが書いてあった。

<「自分を書け」が中心
 そんなにいろいろと話した小島さんが、最終的に私に要求したことは、たった一つ、「自分を書け」ということでした。
 小島さんを「モダニズム」だとか、新しい文学の旗手だとか考えたりする人たちは、驚くでしょうが、彼が文学の基本として考えていたことは、この、昔から言われてきたこと一つだけで、そういう意味でだ伝統的な文学者、文学の本流に根ざした人、ということができます。それさえ踏み外さなければ、後はどう書いてもいい、とういう考えだったと思います。
 ただ、それを達成することは至難の技だということは心得ていて、
「急いでやっては失敗する。そろそろと、自分の生皮を一枚、一枚剥がすようにやるんだ」
「自分も、ときどき失敗することがある。これが自分だ、と思って書いているうちに、そうでなかった、ということがちょちょいあある」
「だから、いつでも、初心者のつもりで小説に向かわなければいけない。小説をなめてかかったら、かならず失敗する」
 などと言っていました。・・・・・・>

 小島信夫というひとは、ほんとうの小説家だったんだと気が付いた。先に触れた、田山花袋の「田舎教師」の清三も、作者の一面を自分を書いたものなんだろう。

 本を読んでいると、高橋源一郎さんのように、全文引用をしたくなってくるのが不思議だ。