TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『勉強の哲学ー来たるべきバカのために』(千葉雅也、文藝春秋、2017年)を読み始めたぞーこれは面白い

『勉強の哲学ー来たるべきバカのために』(千葉雅也、文藝春秋、2017年)を読み始めた 『勉強の哲学ー来たるべきバカのために』(千葉雅也、文藝春秋、2017年)を、稲城図書館の返却棚で見つけた。返却棚で本が私に微笑んでくることが多い。『夫の息子』(藤堂志津子角川書店、2005年)も借りて来た。図書館のある街に暮らす幸せである。借りる前に『勉強の哲学ー来たるべきバカのために』を読み始めた。著者の千葉雅也さんの名前を憶えていた。最近、哲学者というか、社会学者ろいうか、音楽家と言いうか、芸人というか、もともとの文学愛好家でない方が小説を書いてきて、それがトピックになっていたりする。転じて、プロの書き手になったりする。才能のある人というか、考えるヒトって分野はあまり関係ないのかもしれない。

 著者の千葉雅也さんの名前は、多分、朝日新聞で知ったと思う。たしか、ゲイの小説をかいたのだ。その折に取り上げられ記事を読んで知っていたのだろう。1978年の栃木県生まれで、東大教養部卒で、たしか立命館緒大学の准教授になったのではなかったか。読み始めてみたら面白い。この人も頭のいい人なんだ。頭が良すぎて困っているのかもしれない。それで、こういう本を書くのだ。よみながら感想を書く。

■はじめに■
 

■第一章 勉強と言語ー言語偏重の人になる■
 勉強とは自己破壊である。
 何のために勉強をするのか?
 何のために、自己破壊としての勉強などという恐ろしげなことするのか?
 それは、「自由になる」ためです。
 どいう自由か? これまでの「ノリ」から自由になるのです。

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 このへんの言っていることは分かった。

 ▶自由になる、可能性の余地を開く
 無限の可能性の中では、何もできない。行為には、有限性が必要である。
 有限性とつきあいながら自由になる。

 ▶目的、環境のコード、ノリ
 ▶自分は環境のノリに乗っ取られている
 ▶自分とは、他社によって構築されたものである
 生とは、他者と関わることです。純粋にたった一人の状態はありえません。外から影響を受けていない「裸の自分」など、ありえません。どこまで皮を剥いでも出てくるのは、他者によって「つくられた=構築された」自分であり、いわば、自分はつねに「着衣」なのです。
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 人間は社会的動物である、というのはそういうことか。勤務をやめても、地域デビューとか、他社との関係において自分がいる。夫婦関係は、近しい他のひとを得ることである。頭のいい、千葉さんの説明でわかった。

 ▶言葉の意味は、環境のコードのなかにある。
 言葉は、実際に使われて初めて意味をもつ。本書は、こうした言語観を前提にして話を進めます。これは、ウィトゲンシュタインという哲学者の考えにもとづいています。・・・・辞典とは、人々が言葉をどう使ってきたかの「歴史書」なのです。

ウィトゲンシュタインってどういう人■
 オーストリアのウイーン生まれのユダヤ系で、イギリス・ケンブリッジ大学で教鞭をちょった。20世紀最大ともされる哲学者。彼の言語と論理の哲学は、その後の哲学のみならず学問全体、さらに現在あるコンピュータの誕生にも大きな影響を与えたとして知られている。

 ウィトゲンシュタインって、すごい人らしいね。

 続く