TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『2.サルトルから学ぶ二十世紀思想』(「知の技法入門」第3章 誰にもわかる「実存主義・構造主義・ポスト構造主義」)まできた

 『知の技法入門』(小林康夫大澤真幸)を、わからないなりに読んでいる。
 第3章の「サルトルから学ぶ二十世紀思想」まできた。

 2.サルトルから学ぶに二十世紀思想

 実存主義構造主義ポスト構造主義、近代の中で資本主義という問題浮かび上がり、そこに「主体」というキーワードをいれてみてきた。

 サルトルが忘れ去られた経緯が書いてある。しかし、サルトルという虚の焦点を入れて見直さないと、二十世紀思想はとてもわかりにくく「なってしまう。

 3.主体は結局どうなったか?

 第4章 自然科学と人文科学のインターフェース

大澤 ・・・・・文科と理科の分離の起源は、18世紀後半の西洋における、哲学と科学の間の「離婚 Divorce」にあります。この離婚にそった形で、近代の大学ができました。・・・中世の大学には、神学、医学、法学、哲学の四つの学部があった。この哲学部が、二つに分かれたわけですね。科学を受け持つ学部と、その他の学科を受け持つ学部に、です。後者が人文学と呼ばれたりすることもある。…こうして、「二つの文化」、つまり文科と理科の分割が定着した。・・・

 この辺も、一応は読んでみた。 興味もった件を書きぬいた。中世の大学で、医学が独立していたんだ。私のさいきんの捉えでは、医学は人間学であり、科学であり文学でもあるのだと思う。

 Ⅲ 「知の技法」とは何か?
 「何のために知るのか」という項目で、大澤さんのまとめが分かりやすかった。

  知ることは、
  ① 直接的に役に立つことがる。
  ② 知ることや発見のおもしろさがある。
  ③ 知ることは、生きる上でのある種の解放である。
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 最後のコメント:

 曲がりなりにも読んでみたが、こういう知識人(頭のいいひと)の話すことは目から鱗の感じはある。一方で、「これ日本語で喋っているの」というくらいに理解できない。特に、小林さんの言葉は、殆どチンプンカンプンの部分がった。この本は、2014年に出ている。今も若い読者に読まれているのだろう。この本を読んで、基礎数学の本を読んでみたいと思った。無理数なんって覚えていない。√2って何だったかな、というくらいだ。それと、大澤さんの発言をよんで、やはり、『資本論』をもう一度読んでみたいと思った。
 ということで、この本は図書館に返すことにする。それにしても、俺って大学を出たけれど知識じんではないと再確認した。