TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「治療的『暴力』抑制論」(「こんなとき私はどうしてきたか」中井久夫著)を読み進めている―基本は患者さんの利き手の側に座ること

 作家の大江健三郎さんが、この3月3日に亡くなっていた。88歳で死因は老衰だという。燃え尽きたのだろう。既に10日が経過している。文芸評論家で、映画評論家の蓮實重彦さん(第26代東大総長、86歳)が追悼文を書いている(朝日デジタル)。大江さんのことは、追って追悼特集がいろいろな媒体で組まれるだろう。
 さて、「こんなとき私はどうしてきたか」(中井久夫著)を読み進めている。「2.治療的『暴力』抑制論」を読んでいる。
 ■1. 患者さんを安全に抑える方法■
 「患者さんからの暴力」という問題についてはあまり本もなく、講義を受けることもなかったのでゃないでしょうか。

 いきなり、冒頭に上記の一文があった。精神科医って、外科医がメスを握る肉体労働であると思ったら、精神科医も身体(からだ)を張る仕事なんだとしった。
 「暴力」をタブーにしてはいけない、私の体験から、部屋の隅に追い詰められる!という項目で実体験が綴られている。
 その次の、「実際にやってみないとわからない」の項目では、「さしあたって錯乱している患者さんを、安全に、ソフトに抑制する方法をお話しします」と進む。
 「基本は患者さんの利き手の側に座ることですが、それからどうするか。」

 「腕を押さえる方法」のところでは、2頁にわたって患者モデル役(医師)と中井さんが自ら利き手を押さえる方法を実践している。方法は、合気道における「2教」に似ている。腕押さえでは肘関節を制している。手首の抑え捻りも合気道の技と同じである。
 この後は、次のような項目建てだった。
 ■2. " 手負い”にしてはならない■

 「往診に際して」というところで、興味深い記述があった。こうだ。
 <往診の前には、まずその後の予定を全部取り消して、大小便は済ませておきます。「何時までに帰らなくてはいけない」などと思っているとだめです。・・・・小腹がすいているときにはちょっと何かをかじっておきます。・・・・>
 なんか、面白いね。往診の仕事って、サリーマンにおける重要な営業面談と同じだと感じた。
 また、往診にさいしても、「聴診器」と「脈:をとるという小道具が必要なんだという。

 ■3. 患者さにはどう見え、どう聞こえているか■

 目に居圧力があるので、「やんわりと鼻のめもととかをみる」のも必要なんだって。また、声には”こころの弱音気”をつける。

 ■4. ふっと力が抜けるとき
 <患者さんのこころの底の共通点といえば、恐怖です。「暴れる患者は恐怖から」と言ってまず間違いはありません。>
 「0.55秒遅れのの、”現在”」というところで、興味深い記述があった。人間が暴力的になるのに、0.55秒の遅れれば、「待て」という意識が生じ、それが良心ということで、暴力を行使しない。

「対処法が身についていれば怖くない」と、言っている。「備えあれば憂いなし」ということのようだ。本格的な暴力対処は、たとえば『犯罪交渉護身術>(毛利元貞著、並木書店)などに書いてあるという。

 要するに、暴力対処法が必要なのは、「患者さんのコントロールを助けている」ってことなんだ。最後のところで、中井さんが書いていた。

 <今日私がお話した身体制御の方法は万能ではありませんが、意外にこれで済む場合が多いし、慣れるとすっとからだが動きます。じつはkぉれは、合気道をマスターしているある精神科医に、一つだけならどうするのがよいかと尋ねて教わったものが基本になっています。>

 なんだ、そうか、やっぱり。腕押さえは合気道の『二教』の技を利用している。