TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「生きて読めそして書け」と神が言うー明日は受診日で―生澤夏樹さんの追悼を全文引用した

 神がいるのだろうか?わからない。だけど神が欲しい。生きるとはそういうことだろう。

 作家の大江健三郎さんが亡くなった。「見る前に跳べ」「懐かしい年への手紙」「みずから我が涙をぬぐいたまう日」、等々、大江健三郎さんの小説、エッセイ集にせよ、タイトルが特異であった。編集者がつけたのではなくて本人が付けたのであろう。愛媛大学医学部ができたとき、当時の仕事の出張で愛媛県から高知県に抜けるルートを敢えて選んだので、大江健三郎さんの故里近郊を通過したかもししれない。大江さんが「飼育」☆わで芥川賞を受賞されたのは。石原慎太郎さんの「太陽な季節」や丸山健二さんの『夏な流れ』の頃だった。わたしが高校生から大学に入るころだ。

 大江健三郎さんが亡くなったと知った。2023年3月3日とのことだ。昨日、3月13日まで伏せていたらしい。老衰ということだが、昨年末から弱っていたのかもしれない。88歳という年齢は、瀬戸内寂聴さんや加賀乙彦さんより若い。「老衰」ってどのように自らの「死」を認識するのだろうか。

 さて、大江健三郎さんのへの「追悼」を何方が書かれのか待っていた。池澤夏樹さんが今日の朝日新聞に寄稿しておられた。全文を引用する。

  <タイトル:大江健三郎さんを悼む(寄稿 池澤夏樹(作家)>

 大江  健三郎
 なんと美しい名前だろう。
 やわらかい母音が三つ連なり、それをKという子音がしっかり受けて、更にごつごつしたZが乱して、「ろう」で丸く収まる。音節の数は軽く七五調を逸脱している。
 こんな名前を持った男が詩人でないはずがない。
 いわゆる詩集はない。しかし彼の小説のタイトルをみればそれがそのまま詩であることは歴然としている。
 思い出すままに順不動で並べてみれば(このところぼくは羅列という古代的な文芸の手法を多用している)ーーー
 燃えあがる緑の木
 洪水は我が魂に及び
 芽むしり仔撃ち
 狩猟で暮したわれらの先祖
 人生の親戚
 われらの狂気を生き延びる道をおしえよ
 「雨の木(レイン・ツリー)を」聴く女たち
 自ら我が涙をぬぐいたまう日
 懐かしい年への手紙」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(こういう書き方もあるのか、池澤さんの切り口に感心した。たしかに、大江健三郎さんの本のタイトルは面白いね、)

 そして、これらの小説の本文はそのタイトルを冠として戴いて当然の密度ある文体で書かれている。それが二百ページでも七百ぺーじでも緩んだところがまったくない。この統御の力はそれだけでため息を誘う。
 思想についてはどうだろう。
敗戦から始まって見下がりの斜面をずりおちてここまで来てしまった日本社会の流れに大江さんはいくつものダムを築いて抗した。時には路上に自ら坐り込みまでした。憲法第九条表わされる戦後という時代の精神を明快に伝えてきた。ぼくたちに「戦後」はほとんど元号であり、大江健三郎はそこに君臨しないままに統治してきた。

 (下線を引いた部分はどういうことを言っているのか?私はわからない。)

 社会における女たちの力を正しく読みとって、家刀自(いえとじ)や乙女らの活躍・暗躍を描くことで明治期以降の家父長制の日本の歪みを是正しようとした。
 小説の奔放は言うまでもない。どうしてこんな展開になるのかとあきれるばかり。
 『同時代ゲーム』を例に取れば、メキシコの大学で講ずる男が故郷の妹に宛てて書く手紙という体裁をとっている。彼の前の壁には妹の陰毛の写真が貼ってある。この場合、妹は過去への通路を確保する巫女(みこ)なのだ。そして、その過去。四国の山中にあった、中央の権力の外にある小さなコミュニイティーの波瀾に満ちた、というよりむしろ破天荒な歴史。近代という時代の
 大江さんがメキシコの教壇に立ったのは事実で、そこでたまたあるバーで隣に坐ったのが作家で写真家のファン・ルルフォだったというエピソードが伝えられている。

 (『同時代ゲーム』という小説を読んでいないので、読んでみよう。)

 ぼくが自分勝手に『日本文学全集』を作ろうと思い立った時、大江さんはずいぶん応援してくださった。刊行にさいして公開の対談の相手をしていただいた。この全集の方針として古典の現代語訳を作家や詩人に頼むということがあった。「これで次の世代の読者に古典が手渡されるといいのですが」とぼくが言うと、大江さんは「それ以前に、その作家や詩人の人たちがこの仕事を通じて変わると思いますよ」と言われた。
 これには虚をつかれた。そういう視点があることに気づいていなかったのだ。そして、実際に彼らは大きく変わった。それは今や一つの潮流となった気がする。

 (池澤さんの編集された『日本文学全集』はすごく斬新であると思う。幾つかを私も読んだ。樋口一葉の小説も、この全集で読んだ。)

 先に挙げた大江さんの作品のタイトルのいくつかはブレイクやオーデンの詩から取られている。ここ何年かお目にかかることはなかったが、そういう機会があったとしたらぼくはディラン・トマスの「ロンドンの大火で亡くなった少女を悼むこと拒絶する」という詩のことを話したかった。安直に、形ばかりの悼みをするなという内容で、ぼくに言わせれば実に大江的なのだ。
 さて、もう大江さんはいない。目の前には作品の山脈がある。再び一座ずつ登らなければならない。

(大江さんに、『見る前に跳べ』というタイトルの「小説」があったと思う。このタイトルは、たしか、オーデンの詩から取ったのではなかったろうか。「再び一座ずつ登らなければならない。」と、池澤さんはこの追悼文を結んでいる。大江健三郎さんをまた読み返そうという決意なんだろう。)

(ここまで)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▶本日の気になる本
(1)『トシトリ手引き』(老年医学・精神科医 和田秀樹毎日新聞出版、1320円)
(2)『寒い国のラーゲリ」で父は死んだー父、山本幡男が遺した言葉を抱きしめて』(山本顕微一、パジリコ、1980円)
 映画「ラーゲリからの手紙」を補完する。凍てつくシベリアの収容所で父は同義に生き、そして死んだ。父、山本幡男は、ロシアの強制収容所ラーゲリ)の過酷な日々の中でも決して希望をうしなうことなく、仲間、そして自らを励まし続けた。
(3)『世界食味紀行(芦原伸、平凡社新書、980円)