参ったね、この本には『家族の深淵』(中井久夫)。知の巨人というと、立花隆さんであり、養老孟司さんであって、間違いはないと思う。だけど、中井久夫さんの『家族の深淵』の後半を読んでいたら、この人はただものではない「知の巨人」なんだと気が付いた。精神科医でありギリシャ語の詩の翻訳をなさっている。大江健三郎は、オーデンの詩を読んで自分の小説のタイトルに使っている。精神科医の中井さんは、ギリシャの詩を翻訳している。ギリシャ語の詩なんて私は読んだこともない。中井さんとギリシャ詩との接点はどこにあったのだろう。京大の法学部に入ったのはどうしてなのか?そして、医学部に転じたのはなんとなくわかるが、ギリシャ語はどこで学んだのか? 参ってしまった。この人はすごい人なのだ。
夕方から中井久夫さんの『家族の深淵』を読んでいる。
「医学部というところ」
「諸国物産絵図」
「歩行者の思考ー土居健郎『日常語の精神医学』
「日本に天才はいるか」
「一医師の死」
「医心地」
「きのこの匂いについて」
「ハンガリーへの旅からー1992年6月」
以上の、タイトルの項目を読んだ。まったく、書籍のタイトル「家族の深淵」とは縁も所縁もない内容である。ずるいよこれって。だが、今日読んだところの方が面白い。感想を書く。
『きのこの匂いについて』がよい。きのこって、「菌」なのだ。細菌なのだ。もっっと小さくなるとウイルスとなる。「きのこの匂い」というのがよい。私の実家は「椎農家」であった。椎茸を栽培して、その上がり(売上)で私の学費を送金してもらったので茸には頭が上がらない。
さて、神戸の岩石の上に住んだ中井さんは茸の匂いを感じない、と書いている。
<私はここに移り住んで三年目になるのだが、京都、東京、名古屋のそれぞれ三年目と比べると、家に三年分の馴染みが出来ていないことに気づく。・・・・・・・・・
・・・・・:・:・・・
菌臭は、単一の匂いではないと思う。カビや茸の種類は多いし、変な物質を作り出すことにかけては第一の生物だから、実にいろいろな物質が混じりあっているのだろう。私は、今までにとおってきたさまざまの、それぞれの独特のなつかしい匂いの中にほとんどすべて何らかの菌臭の混じるのをを感じる。幼い日の母の郷里の古い離れ座敷の匂いに、小さい神社に、森の中の池に。日陰ばかりではない。草いきれにむせる夏の休墾地に、登山の途中に谷から上がってくる風に。あるいは夜のかわべりに、湖のしずかな渚に。>
中井さんて、ほんとうに詩人なんだと知った。
「きのこの匂いについて」は森毅編『キノコの不思議』、光文社、1986年9月30日)に書いたものだ。
『キノコの不思議』(大地の贈りものを100%楽しむ。森 毅編、光文社文庫)
あの、椎茸の森産業なんだろうか? この本も探してみる。