TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

映画「銀河鉄道の父」を観てきた日に『二度とない人生だから、今日一日は笑顔でいよう―生きるための禅の心(横田南嶺)』を読みだす

 イオンシネマで映画「銀河鉄道の父」を観てきた。主人公は、宮沢賢治の父の役を役所公司が演じていた。宮沢賢治と言えば、農民を指導していた農民詩誌人と思っていたが違った。賢治は花巻の代々続く質屋の跡取り息子だったのだ。旧制中学を卒業するが席次は165番とかで決して神童というのではない。卒業後は、質屋の跡取りに着手するが身が入らない。そうこうして、さらに学びたいということで、盛岡高等農林学校に進むが、映画ではそこも途中で投げ出している。質屋ではなくて、人工宝石の研究を行い製品化して世の中のために尽くすという。また、実家は浄土真宗の仏教信者であったが、賢治は日蓮宗を信じて突然「難妙法蓮華経」を唱え日蓮宗に身を捧げるという始末である。賢治の童話は最初は二つしたの妹のトシに作話して語っていたもののようだ。賢治の童話のよい理解者であった妹のトシは結核で亡くなってしまう。24歳であった。・・・・今では、宮沢賢治の代表作ののように見られている「雨にもマケズ」は、死後に発見された手帳にメモ書きのようにされていたものだった。死に近い賢治の枕元で、「銀河鉄道の父」の役所公司が暗誦していえ叫ぶように口ずさむ「雨にもマケズ」は圧巻であった。
 良い映画であった。私は筑摩書房版の「宮澤賢治全集」を持っているので読み返してみたくなった。

 『二度とない人生だから、今日一日は笑顔でいよう―生きるための禅の心(横田南嶺)』を読み始めた。著者の横田南嶺さんという方は、鎌倉の円覚寺(えんがくじ)の管長だという。1964年の和歌山県生まれだから、私よりも17歳も若い人だ。1987年に筑波大学を卒業。在学中に出家して、卒後に、京都建仁寺僧堂で修行して、1991年から円覚寺僧堂で修行、1999年に円覚寺僧堂師家、2010年に臨済宗円覚寺派管長就任。本の中で、四人の男の兄弟の次男のように書いてあった。「長男は立派に就職してい、三男も○○で、四男は家業を継いでくれたのに、なんでお前だけはお坊さんになりたいなんて・・・」と母親に嘆かれたと書いてあったから、寺の生まれではないようだ。私より17歳も若い坊さんの本を読んでいたら、こころが落ち着いてきた。「これでいいのだ」「いまのままでいいのだ」「今日一日笑顔でいよう」良い言葉にであった。