今から54年前に歌集「中村悦子 旅立ち」をガリ版刷で作ったことが記憶にあった。その歌集の原本(一冊)を持っていたと思っていたが、今まで見つからなかった。昨日、雑誌「大村史談」(「大村史談会発行」)を探していたらなんとそれらの古い雑誌の間に挟まれて歌集「中村悦子 旅立ち」がでてきた。昭和45年(1970年)5月25日発行とある。私が読売新聞・播磨販売店に下宿している時に、ガリ版刷で作ったのだった。恐らく限定100部くらいのものだったと思う。表紙は中村健之介さんが版画で作成した。著者は中村悦子さんである。中村悦子さんは「原始林」という歌人の会に所属していた。ロシア文学者の中村健之介さんの奥さんである。お世話になった。その恩返しで、私製の詩集を作成していた私が、その乗りで作ってあげた歌集だった。
旅立ち
帰るべき道は心にまかせても
旅立つほどはなほあはれなり
建礼門院右京大夫
歌集のタイトル「旅立ち」は上の歌によるのであろう。
以下、読みながら歌集の中から気に入りの歌を引用して再掲しておきたい。
古き寺
<龍安寺の白き石庭に木もれ陽のあたりてこの日静かにく暮るる>
<厨子狭し堂も狭しと吉祥天宝冠つきえて豊かに立てり(浄瑠璃寺)>
<み仏の命を守り冷えとほる御堂に老僧小さく坐せり(室生字)>
<間近くも三千院の脇侍仏ゐざり寄りいますにたいろぎにけり>
<おのが魂(たま)泣きて立たせる阿修羅像合掌せる手に幼さ残し(興福寺)>
⇒ 「幼さ残し」 下の句がすごく良いと感ずる。
<ナンテンの枝細(こま)やかに雨降りて我が心憂(う)く苔寺の庭>
東寺
金子老人を悼みて
<幾世にも祈りこめたる火の仏君は守りし小(お)暗き堂に>
<厳めしき大堂に夜闇に鎮まらむ独鈷(どっこ)持ち剣持つみ仏並び>
<半眼に笑みたたふ帝釈象に坐し限りの命惜しむといふも>
<帝釈のやさしみ象に片(かた)たらすみ足のおよびかすかにそるも>
<梵天をいただき仰ぐ鳥の口朱(あか)くあきたりかなしきまでに>
越後の冬
<清水トンネル越ゆればたちまち車窓に陽弱まりて雪の山見ゆ>
<刀鍛冶(かじ)の家に育ちてしみじみと夫は刃物の冷たさを語る>
仕上げたる重き刃物を中腰に抱えて小男は土間に運びぬ
小金井の空
空梅雨(からつゆ)
空渡る春の雷鳴り止まず海棠の花は庭に散りたり
空梅雨の陽光強く堅き葉の棗(なつめ)光下に紫陽花は垂る
台風の逸れて雨晴る捨てられし古湯槽に入り子らの遊べる
酔(え)ひて夫吉祥寺駅より剥がし来しユトリロのポスター部屋に大きく
<コメント>東大の比較文学の大学院に子連れで中村さんはいたのだった。その頃は中央線沿線の子小金井あたりに住んでいたらしい。悦子さんは歌によって強く生きてゐいたのだったとわかる。
子を持ちて
出産のたびに死ぬ用意もせしもと言ひたる母を今思ひをり
新しき命息づき我はた十時間余をひたすら眠る
互いに子持ちになりて黙しがちに日比谷公園の鳩みて歩く
ひたぶるに物食(は)む子等のいとけなきさま見るつ畏る母なればわれ
眠り
大気に吸はれゆくごと寝入る子の目もとほの紅き昼下がりなり
ゆくりなく風鈴鳴るに幼な子も吾(あ)を見返りて安けく笑ふ
大き屁を放ちて息もみださずに童子は縫いぐるみの猿抱きて寝(い)ぬ
フランシスコ修道院
雨の日の修道院の廊下薄暗し高き天井みあげつつ行く
修道院の高き窓辺に近寄れば雨垂れは次々落ちてゆきてはやし
植物園の夏
蝉の声四方(よも)より迫るバラ園に葉表白きまで夏の陽ふりぬ
ひるがえる鳩は一瞬真白くて芝生の陽光さらにも強し
<コメント>
叙景歌というのだろうか。 札幌にもこのような夏の陽があるのだった。
晩夏
札幌の夏の日ははや過ぎんとして樹々の間に銀色の陽(ひ)揺れ動く
その底に光をもちて雲広がる雨上がりの今日の空高く見るゆ
白壁に陽は弱く射し松影の静かに上下す夏晩(おそ)きひる
わが事にかまけし日々よ投げ置きし畑にトマト赤く熟れをり
<コメント>
中村さんの歌は、自然を自分の眼でよくみえて感じて詠んでいる。最近の「朝日歌壇」の歌人たちとはまったく違う詠み方である。
石狩の雪原
雪原に佇む雪の降る空に陽の輪は鈍くうるみて動く
風ありて目の前の雪舞ひ上がり息つぐわれの顔熱(あつ)かりき
春を待つ
音もなく燃ゆる火の影あかあかと雪染めて這うふ朝のまだきに
木の間より時折雪の落つる音微かに聞え朝明けんとす
ぶらんこに並びて坐り冬日うけたいなき幼な子の話を聞きぬ
(続く)