本日は朝から曇っていた。予定では孫の保育園の運動会であった。午前7時に雨ふりを予測して一週間延期となった。予測通り8時頃から小雨が落ちてきた。11時過ぎに早めの昼食(饂飩)を食してから合気道の稽古に出かけた。12時に新百合ヶ丘についた。駅の売店でカロリーメイトを買って食べた。饂飩ではエネルギー不足を感じたからだ。12時20分にはスポーツセンターの第二武道場に着いた。畳に屍のポーズをとって少し休んでからストレッチをして稽古への気持ちを高めていった。本日は水曜日(10月8日)に続いてシニア合気道無料講習会を標榜してあった一。本日は、高井さん(71歳)、中田さん(61歳)、51歳の女性の木村さんの三人が参加した。通常会員は12名が参加。両手取りからの各種の技の稽古をした。呼吸投げ、小手返し、入り身投げ、等々。新人の三方も懸命に稽古に勤しんでいた。それにしても、ふだん身体を動かしていない方は本当に体が硬いのが驚くほどだ。座って両足を伸ばしても湾曲していて膝裏が畳につかない。本日の三人が入会して一緒に稽古をしてくれることを切望して入会用紙をお渡しした。人間は群れて生きる動物であることを実感する一時であった。
■夫として、科学者として 垣添忠生■
垣添さんのことは40年くらい前から知っていた。1980年代の中頃に国立がんセンターの杉村隆総長を取材で訪問したり、高松宮妃がん研究シンポジウムの取材に行ったころに、垣添先生は泌尿器科部長だった頃と思う。垣添さんと奥様との出会いのこともどこかの本で読んだことがある。たしか、患者と医師として出会い垣添さんが反対を押し切って結婚されたのではなかったあろうか?その愛妻をがんで亡くされて、つらい体験を如何に乗り越えたことを文藝春秋でも書いていたと思う。
<国立がん研究センター名誉総長で、日本対がん協会会長を務める垣添忠生。長年医師としてがん患者に寄り添ってきた垣添は、2007年に最愛の妻をがんで亡くす。失意の底から立ち上がり、自身もがんに侵されながらもそれを乗り越え、現在はがんサバイバー支援活動を行っている。我々はがんとどう向き合っていけばよいのか。そしてがんを告知っされた人に対して、我々はどのように寄り添うことができるのだろうか。>
(冒頭のリード文より)
この項目はともに愛妻をがんで亡くした二人の科学者(永田和宏・垣添忠生)の対談だ。歌人の永田和宏さんは細胞生物の研究者であり、がんの基礎研究者でもあった。垣添さんは泌尿器科の臨床医でかつ基礎研究者でもあった。共にがんで連れ合い(愛妻)を亡くした二人がどうやって乗り越えてきたのかを広範にかつ詳細に語り合っている。垣添さんは妻を失ったあと酒浸りになってしまった。一方、永田さんは亡妻のことを書くことによって乗り越えた。興味深い項目を引いてみたい。
書くことで乗り越える
永田 歌を作ること、文章を書くことでなんとか乗り越えてきたのかもしれない――と、今になると思います。書くことはある種のグリーフワークになったのかもしれません。
垣添 私もそうでした。妻が大晦日に亡くなって、丸一年経った、その翌年の正月のことです。(中略)ふとおもいついて、妻の病歴などについて書き始めたんですね。その時、書くという行為は心の底にある深い苦しみと悲しみを慰めることだと思いました。カウンセラーに話を聞いてもらうのに近いかもしれません。(中略)自分自身を振り返っても、執筆することは立ち直っていくうえで、非常に大きな意味があったと思いますね。
永田 結局、書くことを通じて自分に向き合うんですよね。
垣添 ああ、そうですね。
永田 見失っている自分に、書いている途中で出会う。書くことで「ああ、こういうことだったのか」とわかってくる。言葉には、そいう力がありますね。
垣添 まさに言葉の力を感じました。
(引用終わり)
この章を読んで、垣添さん、永田さんの本を読んでみたくなった。
最後に恒例の今日の気になる本を書いておく。
(1)『依存症』(信田さよ子、)
本日の朝日新聞の「be」に社団法人「碧の森」代表理事・湯浅静香さん(45歳)「元受刑者にチャンス」をという記事が載っており読んだ。湯浅さんは元依存症者で受刑者。立ち直りのキッカケは、信田さんの本「依存症」を読んこと。
(2)『ケアと編集』(白石正明、岩波新書)
(3)『センサスが語るアメリカ史』(加藤洋子、彩流社、3520円)
(4)『宗教がひしめきあう都市に生きる』(守田まどか、風響社、880円)
18世紀のイスタンブルが書いてあるのか?
(5) 妻を見取る