TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「私のⅭ型肝物語」第1章:非A非B型肝炎ウイルスからC型肝炎ウイウイルス(HCV)へ ―(4) C型肝炎は慢性化して肝がんへ:1991~1998年

(4 )型肝炎は慢性化して肝がんへ― 私の肝機能の推移:1986~1990年(5年間)

 

   C型肝炎ウイルスが米国で発見され、抗体検査でウイルスに感染しているかどうか検査できるようになったのは1988年のことだ。それまでは検査法がないため、診断も治療も難しかった。私は非A非B型肝炎C型肝炎という名称になる経緯を、医学界新聞の記者として追いかけていた。広尾の日赤医療センターへ、西岡久壽弥先生の元を取材で時々訪れていたことは既に触れた。

   ■AST,ALT,γ-GTPって何だ?■

   血液検査で肝臓の機能評価の指標とされるAST(GOT)、ALT(GPT)は、主に肝臓の炎症の程度を示す。AST、ALTは肝細胞で、γ-GTPは胆管でつくられ、いずれもトランスアミナーゼと呼ばれる酵素だ。ASTは心筋や骨格筋や赤血球中にも含まれるのに対し、ALTは主に肝臓中に存在しているため肝細胞障害の指標とされる。健康な人ではALTよりASTが高値を示すが、肝障害の場合にはALTが高くなる。γ-GTPはアルコールに敏感に反応し、肝障害を起こしていなくてもお酒を飲む人は数値が上昇する。基準値はAST 7~38 IU/L, ALT 4~44 IU/L 、γ-GTPは男性80 IU/L以下、女性30 IU/L以下とされる。基準値は検査機関により多少の異なりがある。

   ■翻って私の肝機能はどうか?

 この時点で、C型肝炎も肝機能も、私は不覚にも他人事と思っていた。はたと気がつくと私自身も肝機能の数値はよくなかった。「呑み過ぎだな」と自覚はしていた。毎年夏頃に会社で実施していた定期健康診断を真面目に受けていた。その結果報告用紙を収めたファイルが手元にある。その健康診断の推移を次に遡ってみてみる。

   ■肝機能関係血液検査の推移■

  • 1986~1990年(5年間):

   1986~1990年の5年間の推移をみると、肝臓関連の数値は基準値ギリギリである。アルコール飲酒指標のγGTPは基準値を越えている。

  • 1986(昭和62)年6月18日(39歳): AST 30、 ALT 26、 γ-GTP 78。
  • 1987(昭和63)年7月20日(40歳):AST 31、 ALT 32、 γ-GTP 86。
  • 1988(昭和64)年6月29日(41歳):AST 30、 ALT 26 、γ-GTP 72。
  • 1989(平成元)年6月14日(42歳): AST 35、ALT 33、γ-GTP 99。定期検診後に、γ-GTPが99と高値であることから次の指摘があった。

  「節酒から始めてください。週に2日は飲まない日を作りましょう」。
 アルコールによる肝機能障害の指摘だった。これを受けて翌年の2月に再検査を受けた。

   ■1990年(43歳)―HBc抗体はマイナス■

  • 1990(平成2)年2月6日(43歳1ヵ月):

   再検査。AST 41、ALT30、γ-GTP 96。この時には採血して、B型肝炎ウイルス(HBV)検査も行っている。HBs抗原(-)、HBs 抗体(-)、HB e抗原(-)、HB e抗体(-)、HBc抗体(-)の判定が報告書に明示されている。血液中の抗原や抗体の有無が、ウイルスに罹患しているか否かを示すので、一般にウイルスマーカーと呼ばれる。「e」は表面(envelope)、「c」は中心部(core)の意味で、ウイルスを構成するたんぱく質の部分を示す。

   「ウイルス性肝炎の心配はないようです。まず、アルコールを減らしてください。」とのコメントが明記されていた。出版健康保険組合保健師・鈴木さんの捺印が押されている。

  • 1990(平成元)年7月6日(43歳6ヵ月):定期健診。AST 41、ALT 30、γ-GTP 96。

   以上の結果から1990年(43歳)時、私はB型肝炎ウイルスキャリアではなかった。しかし、C型肝炎ウイルスHCV)については検査がなされなかった。輸血血液にはHCV検査が導入されていたが、一般の定期健診においてはHCV検査が含まれていなかった。私のHCVは幼少時の予防接種時の感染であろうか?  私がHCVキャリアと判明するまで、さらに8年の年月を要した。

 (2018.10.8)

(「私のC型肝炎ウイルス物語」 第2章:非A非B型肝炎ウイルス(NANB)からC型肝炎ウイウイルス(HCV)へ―〔4〕型肝炎は慢性化して肝がんへ―私の肝機能の推移:1986~1990年)