TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(29) Alun Andersonさんと「Nature が日本に来た!1984」 ~1984年5月29日(火)

(28)Alun Andersonさんと「Natureが日本に来た!1984」~1984年5月29日(火)

 

   英国の有名な科学誌「Nature」が、1984年に日本へ進出してきた。事務局は本郷から後楽園水道橋に降りてゆく壱岐坂の途中にあった。わが国の伝統ある科学雑誌の一つ『科学』(中央公論社刊)が、1984年に休刊となった。日本の『科学』が休刊になった年に、奇しくも英国の科学雑誌がやってきたのだ。
雑誌「科学」の休刊とNatureが来た!
1984年5月29日(火):
 1984年5月29日(火)、午後18時。Natureの東京支務局長アンダーソン(Alun Anderson)さんに初めて会った。先輩記者SH君と一緒であった。アンダーソンさんは、元は行動学の研究者であり、学究の徒から科学ジャーナリストに転じた人だ。会ってみるとアンダーソンさんは、私たちと同年代で清々しい感じの青年科学記者であった。
■Nature 誌にみる100年の歴史―アラン・アンダーソン■
 
日を改めてアンダーソンさんにインタビューをした。Nature 誌にみる100年の歴史―アラン・アンダーソン」というタイトルで、医学界新聞・第1620号(1984年)で紹介した。この企画は先輩記者SH君が担当した。取材した直後に、彼が他部署に異動したので、掲載にあたって私がその後を引き継いだ。アンダーソンさんは、京都大学で動物行動学の日高敏隆教授研究室に留学していたこともあり、日本語も堪能であった。「方丈記」の英語版や南方熊楠の著作を読んでいて、日本の科学に関しても造詣が深かった。東京に在職中のAndersonさんには、この後もエイズウイルス発見の優先権をめぐって、火中の人であったギャロ博士(米国NCI)へのインタビュー、「日本の科学・日本の医学」という座談会に登場頂くなどの機会を持った。このことは改めて触れたい。Nature誌の東京支局長を3~4年くらい務めたあと、東京支局長を、David Swinbanksさんに託して米国ワシントン支局へ移っていった。
 東京二代目支局長のDavid Swinbanksさんも科学者(海洋学研究者)であり、Nature誌の前には日本の海洋研究施設「しんかい2000」という調査船に所属されていた。
■Alun AndersonさんとDavid Swinbanksさん―補足■
 
NatureとAlun Andersonについて補足して書いておきたい。Alun Andersonさんについて、グーグルで検索してみた。東京からワシントンの支局に移ってから、その後暫くして、科学雑誌New Scientistの編集長を12年の間(1992~005年)勤めている。日本について本も書いている。少し白髪混じりの写真も見ることができる。Alunさんは、1948年ウェールズ生まれで私と全く同世代だった。アランさんの日本滞在時代(1984~1986年頃)の私の記憶はかなり貴重なものであると思う。エイズウイルスをめぐって、ギャロへのアンダーソンさんによるインタビューも別途記述する。
 アンダーソンさんについて調べている中で、2018年10月号で休刊(廃刊)になった雑誌『新潮45』の2011年1月号で、竹内 薫さん(科学作家)が、「科学の興亡―ネイチャー vs. サイエンス」という興味深い記事を書いている。この記事は連載後に、単行本として新潮社から発行されているらしいが未だ読んでいない。
 二代目東京支局長のSwinbanksさんはNature誌で順調に職責を重ね、後に「Nature Index」というデータベースを2016年に構築した。Nature Indexは、毎年、主要ジャーナルに掲載された科学論文の量によって主要な機関と国をランク付けするシステムである。そして、David Swinbanks さんは「Springer Nature Chairman」を、2018年2月から現在(2021年)まで務めている。つまり、トップに昇り詰めてしまったのだ。
(2018.11.22)(追記2021.10.7)
(私の「医人」たちの肖像―〔28〕Alun Andersonさんと「Nature が日本に来た!1984」~1984年5月29日