TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(30)岡田善雄さんと座談会「細胞生物学とは何か」~1984年8月26日(日)

(30)岡田善雄さんと座談会「細胞生物学とは何か」~1984年8月26日(日)

 

1984年8月26日(日)。午後14時30分から、第3回国際細胞生物学会議(会長は妹尾佐知丸・重井医学研究所長)の開会式が、NHKホールであり取材した。この国際会議に向けて、医学界新聞・第1606号 (1984年7月2日付)で、座談会「細胞生物学とは何か」を掲載して、事前の開催告知をした。この企画はSH君が担当した。

■座談会「細胞生物学とは何か」■
1984年8月26日(日):

座談会「胞生物学とは何か」の出席者の陣容は、岡田善雄(大阪大教授・細胞工学センター長)、沖垣 達(重井医学研究所副所長)、藤田晢也(京都府立大学教授・解剖学)、田代 裕(関西医科大学教授・生理学)、本庶 佑京都大学教授・医化学)、石川春律(東京大学助教授・解剖学)、三井洋司(東京都老人総合研究所・薬理学)という錚々たるメンバーだった。
 座談会の司会をお願いした岡田善雄さんに、この時初めてお目にかかった。岡田さんは、HVJ(センダイウイルス)で細胞融合現象を世界で初めて発見し、細胞融合の時代を切り開いた。大阪大学に細胞工学センターという先進的研究施設創立(昭和47年)の功労者で、初代センター長であった。この数年後に、同センターを訪問して研究所紹介の記事をまとめたことがある。「研究所めぐり」という連載の一つとして「大阪大学細胞工学センター」(医学界新聞・第1728号)紹介した。石川春律さんには、20年後の2004年頃に、医学雑誌『生体の科学』の編集委員の一人とに就任されていた石川さん(群馬大学教授・解剖学)と再会した。
■細胞分子遺伝学の黎明期■
 
開会式に続き本会議は、新宿の京王プラザホテルで、8月26日(月)~31日(木)まで開かれた。事前の座談会を担当したSH君が他部署に異動してしまったので、カメラマンのTYさんと私が取材に行った。
 第3回国際細胞生物学会議が開催された1984年は、ワトソンとクリックのDNA二重螺旋構造の発見から30余年が経過して、広義の生物学が細胞分子遺伝学へと変貌を遂げつつある時期でもあった。米国MITに、当時は在籍していた利根川 進さんも、会議に参加されて、「Immunes Strategies for Immune Recognition」という特別講演をされた。この時から3年後の1987年、利根川さんは「抗体の多様性に関する遺伝的原理の発見」の業績で、ノーベル生理学・医学賞を受賞された。2018年ノーベル生理学医学賞に輝いた本庶 佑さんも、この折の座談会に参加いただいた。
 駆け出しの医学業界紙の記者であった私にとって、記憶に刻まれた座談会の一つなのでここで取り上げた。
(2018.11.23)
(私の「医人」たちの肖像― 〔30〕 岡田善雄さんと座談会「細胞生物学とは何か」 ~1984年8月26日)