TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

気になる言葉二つ~LGBTと「大人の発達障害」~

 最近よく目にし気になっている言葉に触れたい。LGBTと「大人の発達障害」である。稲城図書館から借りてときどき読んできた雑誌『新潮45』が2018年の10月号をもって休刊になったことにはブログでも既に触れた。発端となった杉田水脈論文「LGBT支援の度が過ぎる」が掲載された8月号の読者予約の順番が漸くきて読んだ。「生産性がない」の論旨はやはり論外だ。それより、この号の特集は日本を不幸にする「朝日新聞」だった。炎上した8月号の記事を擁護する第二弾となった10月号は未だ図書館では順番が回ってこない。ところで、LGBTの方々は私の若い頃から普通におられた。小中学校の同級生のYH君はTであったのだろう。男女の二卵性双生児に生まれた彼は男子であったが自身は女性であったのだと今にして思う。女性的な彼の立ち居ふるまいは苛めの対象となっていた。行動は女性的だが勉強のできた彼を担任教師はよくまもってくれていた。大学時代の友人の一人のYS君は知り合ってまもなく自らGであることを私たち仲間に伝えてくれた。大学院まで進み高校の国語教師をしながら「男たちの愛の物語」を書いて恵贈してくれたことがある。考えてみれば結婚してこどもを持って父になってから男性同士の方が楽しかったり、母親になってからLになるひともいるのではないだろうか?人間この不可思議なるもの多様性を認めあって誰もが生きやすい社会を望むばかりだ。
 『稚くて愛を知らず』なぜかこの言葉が気になっていた。調べてみると、これは石川達三の小説の題名である(読んだことは未だない)。両親からの愛を一身に受けて美貌と清純な心をもって成長した主人公の友紀子は結婚をするが相手の心を慮ることができず夫を愛することができない。「おさないころから愛を知らず」私の場合はこちらに些か近いようだ。ひとに甘えることができない。齢70を越えても私たちは人とのつながりを求めて彷徨うもののようだ。誰しもが発達障害をもった未完成の大人なのではないだろうか? 宮岡等・内山登紀夫『大人の発達障害ってそういうことだったのか」(医学書院)を読んでみたい。チョット高い(3240円)ので図書館で探すか買うか迷っている。