TomyDaddyのブログ

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「私のC型肝炎物語」第7章:マヴィレット治療への挑戦―(8)漸く手にした初回処方箋!

(8)「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦― 漸く手にした初回処方箋!

 

■鶴首して待った日がやってきた!■

  • 2018年2月27日(火曜日):

待っていた2月27日(火曜日)がやってきた。本日は東大病院の受診日だ。朝6時30分に起床した。何時もより早めに朝食(6時45分~7時10分)を食べた。家を7時25分位にでて7時33分発小田急多摩線はるひ野駅で各駅停車の新宿行きに乗った。初めから座れた。新百合ヶ丘経由で代々木上原から千代田線に乗り換え、国会議事堂と乗り継ぎで本郷三丁目駅に8時56分頃に着いた。東大病院の受付は9時7分だった。直ぐに2階の検査部に行き採血の受付をする。採血の順番待ちは余りなく9時15分頃には採血も終了した。試験官に5本くらい採血をした。内科受付で「受給者証」を提出して受付を済ませ9時30分~10時30分頃まで、2階の内科外来待合場所で本を読んでいた。廣海輝明著『C型肝炎―この10年でわかったこと』を読み進める。文章が平易で読みやすいので80%は読み進めた。特に新しいことは書いてないが知識の整理にはなった。発行は2015年6月16日である。治療に関してはインターフェロンフリー薬の項目までだ。2015~2018年までの新薬に関する新展開が目覚ましいことがわかる。

10時30分頃に呼び出しブザーが鳴り中待合に移動した。しかし、呼ばれたのは11時45分位だから中待合で1時間近く待っていたことになる。診察室に入るとすぐにマヴィレット処方の話しとなった。2018年2月16日に私が送った主治医の浅岡先生への手紙は届いていて先生の手元にあった。

■受給開始を2月1日に繰り延べる■

処方箋を書いて貰う段階になって、初回服薬を2月28日とすると、1回に2週間(28日)分の処方なので、全12週の最終回(6回目)は5月6日(火曜日)になってしまうことが判明した。神奈川県から取得した「肝炎治療受給者証」の有効期限が平成30年1月1日~4月30日までの4か月間であるので、最後の回がはみ出してしまう。「高価な薬なので慎重にした方がよいでしょう」と浅岡先生がいう。私も2月15日に「受給者証」を受け取ったときに、有効期間がギリギリであるとの認識をもった。その時に直に電話で確認をしようかとも思ったがそれを怠った。予め書類のコピーを浅岡先生に郵送したのも、「最初の受診を1週間早い2月20日(火曜日)に前倒しできないか」との期待も一部はあったのだが・・・。「神奈川県に期間を変更することを電話で確認したほうがよい」と浅岡先生が言われた。診察室から廊下にでて、「神奈川県がん・疾病対策課肝疾患担当」へ電話した。経過を話して有効期限を2月1日から5月31日に繰り延べ変更してもらった。担当は榛名さん(?)という女性であった。今日の処理は現在の証明書を使って行い、次回から新しい証明書を持参する旨を窓口で言うことになった。

初回の処方箋を入手■

このあと診察室に戻った。とにもかくにも11時50分頃にはマヴィレットの初回処方箋を手に入れた。薬の入手先を浅岡先生に尋ねると、「院外です。東大病院近くの薬局であれば何処でも対応してくれるでしょう!」と言われた。しかし、高価な新薬で大勢の患者がいるとも思えない。本日中に入手できるかどうか心配になった。診察室をでて廊下に戻ると、直ぐにこれまで何回か処方してもらっている東大竜岡門近くの「竹内調剤薬局」の電話番号を調べて電話した。すると、「売店の近くにFAXがあるのでマヴィレットの処方箋をFAX送信してほしい」という。時間はあるので直接届ける旨を話して電話を切る。すぐに病院から薬局へ行く。12時30分くらいには薬局に着いた。マヴィレットの発売元に確認してもらうと「在庫がある」という。「14時30分過ぎには再び来るので、手配しておいてほしい」旨を伝え病院に戻った。

午後13時前には2階の生理検査室の受付に戻って、待合廊下で待機した。ちょうどNHKの連続ドラマを放映していたのでまだ13時にはなっていなかった。本を読んでいると13時45分頃に呼ばれた。超音波検査に次いで、「フィブロスキャン」検査を受けた。この検査は肝臓に外から音波を当て固さを図る新しい検査機器だ。二階の会計で清算をしようとすると、「本日はユートムカード(東大のクレジットカード)が使えない」という。直接会計であると計算が終了して番号表示が出ないと支払いができない。計算を待つ間に、地下一階の食堂「三四郎」に行って遅い昼食をとった。豚の生姜焼き定食(900円)を食べた。時間は午後15時1分だった。会計に戻ると受付番号「0446」の会計はできていた。本日の医療費は4,360円であった。ここで「証明書」の管理手帳を提出して記載してもらった。

■マヴィレット14日分を手にした■

診察のあと直ぐに竹内調剤薬局に戻った。マヴィレットは無事に届いていて10分後くらいに薬を頂戴できた。薬代は「医療補助証明書」があり総支払上限額が1万円なので薬代としては5640円であった。マヴィレットは1錠2万4210円(1回の服薬は3錠なので、7万2631.2円)となる。したがって、2週間分42錠では101万6836.8円となる。治療全12週間では612万円となる。なんとも言えない大きな数字である。このような高価な薬を利用できるのは嬉しいことではあるが、「呆れる数字だ」という気持ち650万円以上を要したはずである。国(実際は神奈川県)が補助してくれるのは有難いことであるが、「まさに国家が医療過誤をみとめたからの措置」であるのだろう。

■主治医の転勤■

本日の診察の中で浅岡先生が急に、「前に言いましたっけ。私が異動になるので次の先生に引き継いでおきます!」と言われた。「そうですか!先生にはずいぶん長くお世話になりました・・・」と私が応えると、「私は新野先生から引き継いだ・・・」と言われた。「先生にはいつまで診てもらえますか?」と尋ねると、3月13日と27日のあと2回であるという。「中川先生もご存じですよね。中川先生が留学からだいぶ前に戻っているので次は中川先生でもいいですよ」という。中川先生は新野先生の前の私の主治医で、米国留学に行かれたはずだ。「私の次の先生によく引き継いでおきます。私が帰るころにはウイルスが消えているといいですね!」と言ってくれた。その時に、私は良い印象を持ったので覚えている。「中川先生にお願いしたい」と伝えた。すると「中川先生の外来日は水曜日の午前と木曜日の午後だという。「水曜日の午前でお願いします」とお返事した。

■通院に9時間要した■

2018年2月27日(火曜日)の通院は朝の7時20分に家をでて帰宅は午後16時30分ころであったので9時間に及んだことになる。元気で体力もあって暇な時間もないと病院通いもできないことを痛感した。今回の血液検査の結果はAST 46、ALT 43、γ-GTP40、血小板12.3である。2017年12月21日の聖マリアンナ医大の結果は、AST 53、ALT 44、γ-GTP41、血小板12.3であるから殆ど変わりない。この間にアルコールは節酒し、2月中は禁酒なので、特にγ-GPT40、41と正常値以内に入っている。ほかの肝臓関連の酵素の数値は高値であるが横ばいである。

明日からはアルコールを禁止することに決めて夕食時に缶ビール2本(キリンと札幌)を飲んだ。美味しくは感じるがそんなに感激もない。やはり、飲酒は習慣となるのだろう。

かくして、曲折はあったが私のC型肝炎治療におけるインターフェロンフリー治療の第三段がスタートすることになった。その夜は、明日(2月28日)からの治療を開始することに決めて床に就いた。

■服薬開始を3月1日にした■

  • 2018年2月28日(水曜日):

本日は6時50分頃に起床した。朝目覚めてベッドで考えた。薬の処方3回目(3月27日)の次の診察日は(中川先生の外来日が水曜日とすると)4月11日(水曜日)となる。薬は前日の4月10日(火曜日)に切れてしまうので、1日分が足りなくなる。そこで開始を2月28日でなく1日遅れの3月1日(水曜日)に遅らせることにしたので気分的に楽であった。このことを決めてこのメモを書いている。

本日は妻のY子は、友人のMNさんが来てくれて一緒に丘歩きに10時30分頃からでかけることになっていた。二人が出かけてから、昨日、病院でもらってきたマヴィレット関係の小冊子の説明を読んで過ごした。マヴィレットの発売元「アッヴィ合同会社」のコールセンターに電話で服薬者登録をすると治療継続をサポートしてくれるというので必要事項を記入してFAX送信を行った。午後には医療費の集計を行った。そのあと、夕方17時過ぎに家を出て合気道の稽古に参加した。18時から20時まで汗を流して20時半頃に帰宅した。

(2018.12.30)

(「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦―〔8〕 漸く手にした初回処方箋!)