TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像― (25)垣内史朗さんのカルモジュリンの発見と「朝日賞受賞式」 ~1984年1月19日(木)

25)垣内史朗さんのカルモジュリンの発見と「朝日賞受賞式」 ~1984年1月19日(木)

 

   1984年1月19日(木)。築地の朝日新聞社2階の朝日ホールにおける朝日賞授賞式に午後14時頃から参加した。
■朝日賞授賞式に参加■
1984年1月19日(木):
 
1984(昭和58年)度朝日賞は、渡辺正毅、垣内史朗、花房秀三郎の三氏が受賞された。渡辺正毅さんは、千葉大の整形外科出身で膝の関節鏡の開発者で知られた。関節鏡は今でこそ当たり前の医療機器となっているが、小さな穴をあけて覗くだけで膝の疾患を診断できることで当時は画期的な発明であった。垣内史朗さんは、大阪大出身の基礎医学者で、カルモジュリン(Calmodulin)という物質の発見者で知られていた。朝日賞の受賞理由は、「カルモジュリンの発見とカルモジュリン結合たんぱく質の発見」というものだった。花房秀三郎氏さん、当時米国のロックフェラー大学教授で、癌研究の業績で知られていた。このあと、ノーベル賞の登竜門と言われていた米国の「ラスカー(Lasker)賞」を受賞されたが、ノーベル賞受賞までには至らなかった。
カルモジュリン(Calmodulin)とはなにか
 朝日賞の授賞式で受賞講演と挨拶に立たれた垣内さんは、神経質かつ謹厳ないかにも基礎医学者然としていた。
 1981年7月、東京・新宿の京王プラザホテルで開催された第8回国際薬理学会議を取材した。カルモジュリンも、上記会議の重要なテーマの一つであった。カルモジュリンは、真核生物に広く存在するカルシュウム結合性タンパク質である。1971年に垣内氏とチェン(Cheung)が独立し発見した。垣内さんは、この年(1984年)9月に逝去された。授賞式の当日、垣内さんは既に病を抱えていたのかもしれない。1929年生まれで、55歳という早世であった。
 今回、インターネットで調べてみたら、祖父江憲治先生(岩手医科大学教授)が、「私の恩師―垣内史朗先生」という追悼文を雑誌「臨床科学」(1986年2号)に、執筆されているのを知った。
(2019.1.10)
(私の「医人」たちの肖像―〔25〕垣内史朗さんのカルモジュリンの発見と「朝日賞受賞式」~1984年1月19日)