TomyDaddyのブログ

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私の「医人たち」の肖像― (16) 平田幸正さんと阿部正和さんの対談「糖尿病の診断と治療」~1982年6月18(金)

(16)平田幸正さんと阿部正和さんの対談「糖尿病の診断と治療」 ~1982年6月18(金)

 

 1982年6月18日(金)。糖尿病領域の先駆的研究者(医師)である阿部正和さん(当時は東京慈恵会医科大学教授・第3内科)と平田幸正さん(当時は東京女子医科大学教授・糖尿病研究センター)両氏の対談収録に参加した。これは先輩記者SH君の企画だった。
■対談「糖尿病の診断と治療」■
●1982年6月18日:

  
「糖尿病の診断と治療」というタイトルで、収録した対談は、医学界新聞(第1514号、第1515号)に連載された。その時点での糖尿病臨床を網羅するものだった。折しも、1982年はインスリンの発見から61年を経過した年だった。
 阿部正和さんは、私の義母HTさんの自由学園時代の友人TAさんのご主人ということでお名前を存じていたが、そのような個人的な事項に言及すべくもなかった。
 平田幸正さんは、九州大学出身で糖尿病治療の先駆者であることの知識すら、当時の私にはなかった。1974年夏に1型糖尿病の子どもたちの小児糖尿病サマーキャンプを、平田さんは企画して自らもこどもたちの指導とケアにあたった。平田幸正さんは、鳥取大学第一内科教授を経て、1975年7月から東京女子医科大学第三内科教授に転じ、日本の大学で初の「糖尿病センター」を設立して初代所長に就任した。1991年3月まで糖尿病センター所長を務めて、定年退職後は古巣の福岡に戻り、病院顧問として糖尿病診療を続けた。5年前の2014年に2月15日に88歳で逝去された。
 後日談になるが、医学書院では糖尿病の臨床雑誌『糖尿病診療マスター』を2003年に創刊した。この際、のちに平田さんの後継者となった(東京女子医大・四代目糖尿病センター長)の内潟安子さんに、編集委員の一人に参画いただいた。その当時は、東京女子医大糖尿病センターの医師(助教授)であった。
■初のインスリン注射から60周年
 インスリンの発見が、カナダのトロントの外科開業医フレデリック・バンティング(Frederick Grant Banting)によってなされたのは1921年であった。翌、1922年、最初のインスリン治療がなされた。翌、1923年、インスリン発見の業績でバンティングはノーベル生理学・医学賞を受賞した。この、異例ともいえるスピード受賞をみても、インスリンの発見が糖尿病治療にとって筆舌できないほど画期的なものであったことが首肯される。1982年はインスリン注射60周年にあたった。この契機に、医学界新聞では、「インスリン注射60周年特集記事」を掲載した(第1498号)。
(2019.1.11)
(私の「医人」たちの肖像―〔16〕平田幸正さんと阿部正和さんの対談「糖尿病の診断と治療」~1982年6月18日